子どもの頃からテレビを見ることが好きで、テレビに出ることに憧れていたという、山崎樹範(やまざき しげのり)さん。そんな山崎さんの、生い立ちから、俳優を目指すようになった予備校時代までについて、ご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
山崎さんは、1974年2月26日生まれ、
東京都足立区梅島のご出身、
身長165センチ、
血液型はA型、
学歴は、
足立区立梅島第二小学校
⇒足立区立第九中学校
⇒東京都立青井高等学校
⇒予備校(浪人)
⇒獨協大学法学部卒業
趣味は、読書 テレビゲーム スポーツ観戦、
特技は、卓球、
ちなみに、山崎樹範は本名です。
小学3年生の時に東俳に応募していた
山崎さんは、小学3年生の時、学校で行われた、「どれだけテレビを見てるか」の調査で、学年でダントツ1位になるほど、テレビドラマ、スポーツ、バラエティ、競馬(日曜日にお父さんと一緒に)と、ありとあらゆるジャンルのテレビを見ていたことから、
大好きなテレビの中に入りたい
という気持ちが自然に芽生えたそうで、
そのきっかけとして、小学校3年生の時には、俳優になろうと、新聞のテレビ欄の下にあった、劇団「東俳」の劇団員募集の広告を見つけ、ご両親に内緒で、こっそりと応募すると(スナップ写真の裏に「左が僕です」と書いて、600円ほどの切手を同封)、なんと、見事1次審査に合格。
(当時はまだ、お芝居に興味があったわけではなかったそうです)
ただ、2次審査は、1次審査と違い、受験料が5000円必要で、当時、お父さんは、勤めていた会社が倒産し、毎日家にいたことから、山崎さんは、幼心にもそんな家族の状況を察して、お母さんに5000円ちょうだいとは言い出せず、断念してしまったのだそうです。
高校時代~大学受験に失敗
その後、山崎さんは、俳優への思いはすっかり忘れてしまい、高校生の時には、特に将来の目標もなく、どこかあきらめたような日々を送っていたそうで、高校卒業後は、
地元の工場なんかで働くのかな
と、漠然と思っていたそうですが、
ご両親が大学進学を勧めてくれたため、
まあ、行けるんだったら行こうかな
と、軽い気持ちで大学進学を目指そうと、塾に通うことに。
ただ、通っていた高校は大学進学率が低く、山崎さんも勉強をしていなかったこともあり、勉強に身が入らず、サボりながら麻雀をするという日々を送ったそうで、結果、当然のことながら、大学受験はすべて失敗してしまったのでした。
浪人時代はダラダラも漫画家目指す友人に感化される
その後、山崎さんは、大学進学のため、一浪して予備校に通い始めるのですが、ここでも、予備校仲間と通学途中にあったパチンコ屋に寄ったり、麻雀に行ったりと、全然勉強せず。
そんな10月のある日、例のごとく、予備校仲間、フリーター、専門学校生と徹マンをした明け方に、隣の公園でダラダラしながらしゃべっていると、突然、そのフリーターが、
俺、漫画家になるわ
と、言い出したそうで、
はっ? おまえ何言ってんの?
と、聞き返すと、
いや、実はだれにも言ってなかったんだけど、俺ずっと中学校の頃から漫画描いてて、このあいだ「少年マガジン」の賞に応募したら入選したんだ。それで、今、連載に向けて動き出してんだ。
と、まさかの告白。
実は、山崎さんは、そのフリーターを、
おまえ、どうしようもねえなあ。俺らはまだ大学目指して勉強してんだ。おまえは何もしてねえじゃねえか。
と、一番どうしようもないやつだと思っていたため、漫画家になって夢を叶えようとするその姿を見て、衝撃を受けたのですが、
続いて、専門学校生も、
やっぱさあ。どんな夢を見るかが大事なんじゃなくて、夢に向かって何してるかが大事なんだよな。
と、急に柄にもないことを言い出したそうで、
山崎さんは、いつもだらしなくつるんでいる仲間たちが、急に大人に見え、
ヤベエ、俺何もしてねえぞ
と、その時、初めて焦ると、
俺、芝居やりたかったんだ
と、ふと、かつての夢を思い出し、本格的に役者を目指そうと決意されたのでした。
「山崎樹範は大学時代にカムカムミニキーナ入団!売れない頃は?」に続く