「ジャニーズ事務所」に入るまでは、特にやりたいことも将来の夢もなく、周囲に流されるまま生きてこられたという、重岡大毅(しげおか だいき)さん。そんな重岡さんが、オーディションに合格して「ジャニーズ事務所」に入り、「7 WEST」で活躍されるまでの経緯について、調べてみました。
「重岡大毅の生い立ちは?子供の頃の性格はスネ夫?ジャニーズ応募理由は?」からの続き
「ジャニーズ」のオーディションに合格
2006年、中学2年生の時、友達に誘われるまま、「ジャニーズ事務所」に履歴書を送付し、約半年後には合格通知を受け取った重岡さんですが、
オーディションでは、ダンス未経験でありながら、周囲のかっこいい人達が緊張で表情がこわばり、必死でダンスを披露する状況に、
あ、これ楽しい
と、直感的に感じ、
当時、ゲームにすっごいハマってたんですけど、これちょっと違うようなみたいなこと感じてて。
流されて、流されて、学校生活を送ってここまできて。自分で決めたこともほとんどなくて、何かに真剣に打ち込むこともなくダラダラと日々を過ごしてて。
だから、どっかで探してたんだと思うんです。燃えられるものを。オーディションの日、「あ、これだ!って」。
と、何かを一生懸命することの楽しさに目覚めたそうで、
終始笑顔でダンスしていると、そんな重岡さんの姿が、ジャニー喜多川社長の目に留まったのか、重岡さんは、オーディションの最中に、
こっち来て
と、言われ、写真を撮ることに。
すると、その日のオーディションは終わり、合否が分からないまま月日が経ったのですが、後日、その時に撮った自分の写真が雑誌に載ったそうで、
当時13歳の重岡さん。
重岡さんは、
あれ、俺、受かったんかな?
でも、別に仕事に呼ばれてへんし、どういうこと?
と、迷われるのですが、実際、それが合格を意味していたのでした。
ちなみに、当時、重岡さんは、雑誌に載っていることを誰にも知られたくなくて、近所の本屋さんにある雑誌を全部買い占めたそうです♪
「ジャニーズ」が自分の中心に
こうして、見事、オーディションに合格された重岡さんは、すぐにダンスのレッスンを開始。
しかし、覚えるのが遅く、よく怒られていたそうで、当初は、怒られたくない、というのがモチベーションの一つになり、夜、家の裏の公園の街灯の下で自分の影を見ながら、一人で練習を重ねられると、
ただ、そのときもじゃっかん、酔ってるんですよね。こっそり練習してる自分に。
学校も近かったんで、「誰か同級生の女のコ、公園通らんかな」みたいなことも思ってて(笑)。見られたくないけど、見られたい。なんか、青春でしょ?
と、人と違うことをしているというのが楽しくなり、
いつの頃からか、完全にジャニーズが自分の中心になっていることに気づいたそうで、特に、
ジャニーズやってんねんね
と、人から聞かれるのが、とてもうれしく思えたのだそうです。
「Hey!Say!7WEST」のメンバーに抜擢
そして、ほどなく、神戸で開催された「関ジャニ∞」のライブで初舞台を踏むと、その後はレッスンを続けられた重岡さんですが、
一方、同期の藤井流星さんらは、2007年に、「関西ジャニーズJr.」内のユニット「Hey!Say!7WEST」に抜擢。
それでも、重岡さんは、
流星は入所して、すぐにユニットとか入ってたし。それこそ、神ちゃん(神山智洋さん)とかと組んで。だから、全然ちがう、俺とはグレードがちがうと思ってたというか
と、まだ自信がなく、悔しい思いはなかったそうですが、
翌年の2008年、ジャニーさんから、
「Hey!Say!7WEST」に入ってみない?
と、直々に声をかけられても、なお、
今入っても何もできないから、もう少し経験を積んでから入りたい
と、せっかくのジャニーさんのオファーまで、まさかの辞退。
ただ、
今思えば、アホやなって思います。チャンスなんて何度あるかわかんないのに、変なプライドがあって、「そんなこと言ってる場合じゃないよ」って言われて、入れてもらえることになって
と、同年8月、新生「Hey!Say!7WEST」に加入されると、
「Hey!Say!7WEST」に新メンバーとして加入された重岡さん(右)、新垣佑斗さん(中央)、小瀧望さん(左)
2009年には、「関西ジャニーズJr.」からたった一人、東京に呼ばれ、期間限定ユニット「NYC boys」として、中島健人さん、菊池風磨さん、山田涼介さん、知念侑李さん、松村北斗さんらと、「女子 バレーボールワールドグランプリ2009」のスペシャルサポーターに抜擢。
2010年には、センターを務められるなど、順調にステップを踏んでいかれたのでした。(この年、「Hey!Say!7WEST」は「7WEST」と改名しています)
「重岡大毅の下積時代は?デビュー取消?ジャニーズWESTは4人だった?」に続く