1970年12月30日、ロンドン高等裁判所に「アップル・コア社」と他の3人のメンバー(ジョンレノンさん、ジョージ・ハリスンさん、リンゴ・スターさん)を被告として、ビートルズの解散と「アップル・コア社」における共同経営関係の解消を求める訴えを起こし、勝訴したポール・マッカートニーさんですが・・・
「ポールマッカートニーは昔ビートルズに裁判を起こしていた!」からの続き
ジョンレノンが「The Beatles」脱退を宣言
1969年9月20日、「The Beatles」のメンバーと当時のマネージャーであるアランクレインさんは、アメリカ・キャピトル・レコードとの契約更新の手続きのため、「アップル・コア社」本社でミーティングをすることになったのですが、
そのミーティングの席で、今後、ライブ活動の再開を望み、小さなクラブでのギグをやろうと提案したポール・マッカートニーさんに対し、ジョン・レノンさんが猛反発。
二人は口論となると、挙句の果て、ジョンさんがポールさんに向かって、
「契約書にサインするまでは黙ってろ」と言われたんだけど、君がそう言うんなら教えてやるよ。俺はもうビートルズを辞めることにした。
と、吐き捨て、これ以降、ジョンさんが「The Beatles」としてスタジオに戻ることは、二度となかったのでした。
(ただ、ジョンさんがクレインさんに、契約更新するまで脱退は許されないと言われていたとおり、この時点では、契約上ではジョンさんの脱退は却下されていたそうです)
ちなみに、ジョンさんは、1969年6月以降、重度のヘロイン中毒で周囲の意見にほとんど耳を傾ける余裕がなく、このミーティング直後、麻薬の禁断症状について書いた「コールド・ターキー」を、後の自身のバンド「プラスティック・オノ・バンド」名義で発表しています。
「コールド・ターキー」
全ての元凶はオノヨーコ?
ところで、ジョンさんとオノヨーコさんは、1966年に開催されたオノさんの個展「インディカ・ギャラリー」で知り合われると、それ以来、お互い、唯一無二のパートナーとなられており、
これまでの「The Beatles」メンバー間の不和、それに伴う法廷闘争等のきっかけを作ったのはオノさんで、オノさんがジョンさんを「The Beatles」から引き離した張本人だと言われているのですが・・・
オノヨーコさんとジョン・レノンさん。
ポールがオノヨーコを擁護
このことについて、ポール・マッカートニーさんは、2012年10月、
ヨーコがビートルズをバラバラにしたんじゃない。ビートルズは自らバラバラになった。
と、オノさんが原因であることを否定されており、
(2013年3月にも「Q誌」の取材に対して同様の発言を繰り返しています)
オノさんも、
わたしが原因でないということはみんな知っていると思っていましたが、まだ多くの人がそう感じていたということに驚きました。それだけにポールはとても勇敢でした。
「ありがとう、ポール。わたしはあなたのことが好きですし、みんながあなたを愛しています」と伝えたい気分です」
と語っておられます。
「The Beatles」解散の原因はジョンレノン?
そして、ポールさんは、2018年9月、インターネットラジオ局「SiriusXM」の番組にゲストとして出演された際、司会者のハワード・スターンさんに、
ザ・ビートルズを解散に追い込んだのが誰なのか本当のところは誰も知らない
と、話を振られると、
僕は知ってるよ
ジョンだよ。とあるミーティングにジョンがやって来て「なあみんな、俺はグループを抜けるよ」と言ったんだ。
今になって振り返ると、彼は人生においてそういう段階に達していたんだよね。僕ら全員もそうだけどさ。
と、「The Beatles」解散のきっかけがジョンさんだったことを明かしつつ、
彼はヨーコと出会った。彼は強い女性が好きだったんだ。彼の母親は強い女性だったし、彼を育てた伯母さんも強い女性だったけど、残念ながら、彼の最初の妻は強い女性ではなかったんだよ。
ジョンがヨーコと会うのを、僕らは煩わしいとさえ思ったね。だって彼女は僕らのセッションに来てずっとスタジオにいたりして、そんなことはそれまで一度もなかったからさ。
(「ビートルズ」には、仕事場にパートナーを連れてこない」という不文律があったそうです)
でも、こいつは完全に彼女に惚れ込んでるんだから、それを尊重しなくちゃいけないなと思ったんだ。
と、オノさんがバンドのレコーディングセッションに現れて、何をするでもなく座っていたことを、少なからず邪魔だとは思いつつも、ジョンさんのオノさんに対する気持ちにメンバー全員が理解を示していたことを明かし、
これまで、「The Beatles」解散の原因がオノさんだという説を改めて否定されたのでした。
「ビートルズ解散後はポールマッカートニーがウィングス結成!」に続く