1964~1965年までツアーを中心に活動してきたものの、1966年、フィリピンと全米ツアーで、これまでに経験したことのない様々なトラブルに見舞われたことで、公演活動を終了した「The Beatles」。それでも、スタジオで創作活動に意欲を燃やしていたのですが・・・

「ビートルズが二度とライブをしなくなった原因はジョンレノン?」からの続き

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ポールマッカートニーが「The Beatles」脱退を発表

1970年4月10日、ポール・マッカートニーさんが、イギリスの大衆紙「デイリー・ミラー」で、「The Beatles」からの脱退を発表します。

そして、同年12月30日には、ロンドン高等裁判所に、アップル社(1967年に、「The Beatles」自ら財産を運用するために設立した会社)と他の3人のメンバー(ジョン・レノンさん、ジョージ・ハリスンさん、リンゴ・スターさん)を被告として、「The Beatles」の解散とアップル社における共同経営関係の解消を求める訴えを起こすと、

翌年の1971年3月12日には、裁判所がポールさんの訴えを認め、他の3人が上告を断念したため、「The Beatles」の解散が法的に決定したのでした。

いったい、「The Beatles」のメンバーに何があったのでしょうか?

マネージャーのブライアンエプスタインが急死

実は、1967年8月27日、「The Beatles」創設初期からのマネージャーである、ブライアン・エプスタインさんが自宅で死亡しているのが発見され、「The Beatles」のメンバーは大きなショックを受けるのですが、

その後、当時、ヒット曲を量産し、より発言力のあったポールさんが主導権を握ることになると、ポールさんは、「The Beatles」を存続させようと懸命に頑張るのですが、その努力は、周囲には身勝手と取られてしまい、特に、かねてよりポールさんに不満を抱いていたジョージさんとポールさんの不仲が次第に顕在化したのでした。

(「ホワイト・アルバム」制作の頃には、作曲者とその手伝いをする伴走者という間柄にまでなっていたそうです)

ちなみに、ジョン・レノンさんも、1970年、「ローリング・ストーン」誌のインタビューで、

ブライアンの死後、君らが知ってるように色々なことが僕たちに降りかかり始めたことで、僕たちはポールのサイド・マンであることにうんざりしたのさ。

ブライアンが死んで僕たちは意気消沈してしまった。ポールは彼を引き継いでおそらく僕たちをリードしようとしたけれど、僕たちは精神的に参ってしまったんだ。

と、語っておられます。

「アップル・コア社」設立も経営不振

また、1967年、「The Beatles」は、自らの財産を運用するための会社、「アップル・コア社」を設立しているのですが、

経営に関してまったく素人の4人が会社を経営できるはずもなく、ジョンさんが設立後まもなく、

会社は半年で無一文になるだろう

と、語った通り、成功したのはレコード部門だけ。

(ほかに、映画部門や芸術部門など全7部門あったそうです)

そこで、「The Beatles」のメンバーは、「アップル・コア社」の経営を、自分たち以外のきちんとした経営能力を持つ外部の実績者に委任することを検討すると、

ポールさんは、妻・リンダさんのお父さんである、リー・イーストマンさんへの委任を主張するも、ほかの3人のメンバーは、これ以上ポールさんの発言力が強まるのを危惧したことから、「ザ・ローリング・ストーンズ」のマネージャーだったアラン・クレインさんの起用を主張し、クレインさんと契約を結ぶことに。

(クレインさんは、「ザ・ローリング・ストーンズ」のマネージャーだったのですが、経済に長けていたヴォーカルのミック・ジャガーさんに嫌われ、解雇されていたという経緯があり、そのことをミックさんから聞いていたポールさんだけは、契約を結びませんでした。)

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悪名高きマネージャー・アランクレイン

ただ、クレインさんは、赤字まみれの「アップル・コア社」の建て直しを助けてくれたものの、「The Beatles」の曲の米国版権を自分の会社のものにするなど、利益の多くを報酬として自分のものにしてしまい、その強引なやり方から、「アップル・コア社」内で軋轢(あつれき)が生じ、「アップル・コア社」の社員が去る事態にまで発展。

さらに、クレインさんは、「The Beatles」のアルバム「Let It Be」にプロデューサーのフィル・スペクターさんを呼び入れると、コーラス、オーケストラ、ドラムスを追加するなど勝手な編集を施すほか、

ポールさん初のソロアルバムのリリースを遅らせようと、「EMI」に働きかけるなどの身勝手さで、このようなことが重なったことで、ポールさんが激怒。

ポールさんは、

ビジネスのせいでバラバラになった

しんどい会議ばかりで頭がおかしくなりそうだった

と、クレインさんを降ろすため、ほかの3人を訴えざるを得なかったのでした。

「ビートルズ解散の原因はオノヨーコではなくジョンレノン?」に続く

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