それまで裕福だった家庭が、一転、小学4年生の時、お父さんの事業失敗で借金取りに追われるようになった、萩本欽一(はぎもと きんいち)さん。その後は、住居を転々とし、ついには夜逃げまでされるのですが・・・
「萩本欽一の少年時代は母公認の父の愛人に遊んでもらっていた!」からの続き
借金苦で住まいを転々とし最後は夜逃げ
お父さんの事業失敗後、萩本さん一家は、埼玉県浦和の一軒家から、再び東京の稲荷町に引っ越しすると、萩本さんが中学入学後には、今度は小石川のアパートに引っ越し。
そして、小石川ではさらに生活が苦しくなり、家賃も払えなくなると、ついには夜逃げして、渋谷の六畳一間のアパートに逃げ込む形で転居されます。
萩本家「解散」
ただ、渋谷での生活は、大学を卒業してすぐ働き始めたお兄さんの毎月のお給料(1~2万円)で、一家が生活をしていたそうで、
ある時、お兄さんが、
僕には青春がない!
みんな、それぞれの力で生きていくことはできないの?
と、これまでの不満を爆発。
すると、もっともだと思った萩本さんは、
わかったよ、兄ちゃん。今までありがとうね。これからは自分の力でやっていくからさ
と、答えたそうで、
翌朝、家に届いた朝刊の一面に、
安藤組(※1952年~1964年まで活動した暴力団組織。組長は安藤昇)解散
と、書いてあるのを見ると、なぜか全身にやる気がみなぎってきて、
安藤組も解散か。よし、萩本家も今日が解散式だ! ここからは各自で羽ばたいていくぞ!
と、みんなで誓い合ったのだそうです。
(この「解散式」を終えてからは、本当に家族みんながバラバラになってしまい、どこで誰が何をしているのか、本当に分からない状態で、久しぶりにあったのは、萩本さんが有名になった後だったそうです)
借金苦の母親に家を建てるため芸能人を目指す
そんな萩本さんは、借金取りに責め立てられるお母さんを見て、
わが家は大変なことになっている。貧乏というのは、ここまで人を追い詰めるものか。こうなったら僕は10年で家を建てる。そして母ちゃんに気分よく過ごしてもらうことにしよう。
と、心に決めていたそうで、
じゃあ10年で家が建てられる仕事って何だろう?
と、考え始めると、思いついたのが、プロ野球選手か芸能人。
(弁護士や医者は大学まで行かなければならず、現実的に無理だったため)
そして、ある時、学校で、女子生徒が持っていたアイドル雑誌「週刊明星」を借り、パラパラとめくっていると、「中村錦之助が新築の家を建てた」という記事が載っていたそうで、
萩本さんは、思わず、その女子生徒に、
こんなに若くして自分の家を建てるなんてすごいね
と、驚いて言うと、
何言ってるのよ。有名なんだから当たり前でしょ。家くらい簡単に建てられるわよ
と、呆れられたそうで、
このことから、萩本さんは、
家を建てるんだったら芸能人
と、考えるようになったのだそうです。
中学2年の先生との出会いがコメディアンへの扉を開く
ただ、その萩本さんは、恥ずかしがり屋で、おとなしく、授業中に手を挙げることもできない子どもで、いじめっ子たちから標的にされている始末。
そんな、萩本さんがどうやって芸能人なんかになれるのでしょう・・・
実は、ある時、ガキ大将のようなボスが、
黒板に先生の悪口を書こう
と、言い出し、
萩本、お前も書けよ
と、言われて、仕方なく萩本さんも一緒になって書いていると、
(このボスの言うことには、みな絶対服従だったそうで、萩本さんも歯向かう勇気は持っていなかったそうです)
そこへ、先生(女性)が現れ、ほかのみんなは、萩本さんの書いた分以外を全部消して一斉に逃げたのですが、萩本さんは、逃げ方さえも分からず、ただただ、アワアワとうろたえていたそうで、
その先生に、
誰がやったの!?
と、怒鳴られるも、「僕がやりました」とはとても答えられる雰囲気ではなく、「怒られたら嫌だなあ」と思いながら、もじもじしてずっと下を向いていると、
なんと、先生は、
萩本くん、男の子は自分の言葉を口にする勇気を持っていないとダメなのよ
と、優しい口調で諭してくれたそうで、萩本さんはこれに感激。
その瞬間、萩本さんは、先生のことが大好きになり、先生の期待に応えたいと心から思ったそうで、
次の日からは、先生が、
この問題がわかる人?
と言うと、答えが分かろうが分かるまいが、
はい! はい!
と、大声で手を挙げるようになり、
じゃあ萩本くん
と、当てられるも、萩本さんは、
はい! わかりません!
と、答えると、このやりとりにクラスメイトは大ウケ。
また、ほかにも、
はい! 僕はこの問題がさっぱりわからないけど、この子なら答えがわかると思います!
と、言って、ウケたそうで、
(当時は、なぜ、みんなが面白がっているのか分からなかったそうですが)
萩本さんは、後に、
芸能界で大事な要素を、僕はここで身につけたんだと思う。つまりそれは「場の雰囲気に飲まれないで自分を出す勇気」「誰かの期待に応えたいという気持ち」。
中2のときに出会ったあの先生が、僕をコメディアンにしたようなものですよ。
と、語っておられました。
高校3年の頃の萩本さん(中央)。左はお姉さん、右はお母さん。