「京都撮影所」では、年間20~30本もの映画に出演し、着実に俳優としてのキャリアを積まれていた、里見浩太朗(さとみ こうたろう)さんですが、1965年、ある事件を起こしてしまいます。
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ピストル所持で起訴されていた
里見さんは、1965年2月26日、「銃砲刀剣類所持等取締法違反」と「関税法違反」で、京都地裁から書類送検後、起訴されています。
いったい、里見さんに何があったのでしょうか。
週刊誌「日刊ゲンダイ」によると、1964年5~6月頃、京都府警が、映画俳優の2人がハワイからピストルを密かに持ち帰っているとの情報を得て、内偵を進めていたそうで、
まもなくして、一人は、山城新伍さん(東映所属)だと判明したのですが、もう一人が誰なのかすぐには分からなかったそうです。
そこで、京都府警は、1963年4月にハワイに巡業に行った山城さんを含む6人の東映の俳優のうち、山城さんを除く5人を消去法で調べていったところ、ピストルを持ち帰ったもう一人が、里見さんであることが判明したそうで、
京都府警は、1964年8月10日から、里見さんと山城さんの2人を、「銃砲刀剣類所持等取締法違反」と「関税法違反」の容疑で取り調べたのでした。
軽い気持ちでピストルを購入
調べによると、里見さんと山城さんは、ハワイ・ホノルルのマーケットでSW22口径を50ドルで1丁ずつ購入すると、(当時は、1ドル360円の固定レートだっため、1丁1万8000円)スーツケースの底にしのばせて持ち帰ったそうで、
山城さんは、
ハワイでは証明書があれば、自由にピストルが買える。好奇心で持って帰ってしまった。帰国後は実弾を手に入れ、撮影所で射撃の練習をしていたが、ピストルも飽きたので世話になっていた人にあげた。
と、説明したのですが・・・
実は、山城さんが拳銃を譲った相手というのは、暴力団の幹部。
一方、里見さんはというと、持っているうちに、自分がとんでもないことをしていることに気がつき、恐ろしくなったそうで、ピストルを購入してから4ヶ月後の1963年8月には、(暴力団員ではなく)山城さんに渡されたそうで、
山城がそうした筋と交際があるのは知られていたが、気の毒なのは里見だった。酒も飲まず、東映では品行方正の優等生タイプだっただけに、ダメージは大きかった。
山城が買ってみようというので、つい軽い気持ちで手を出してしまったのでしょう。
と、元芸能記者が証言されています。
懲役8ヶ月、執行猶予3年の判決
それでも、やはり、世間の風当たりはきつく、特に、羽田空港の税関関係者は、
芸能人には立派な人が多いので、検査も穏便に取り計らってきたのに裏切られた気持ちだ
と、激怒。(この事件をきっかけに、空港には、金属探知機が導入されたそうです)
その後、里見さんは、書類送検された後、起訴され、1965年2月、懲役8ヶ月、執行猶予3年の判決を受けたのでした。
ちなみに、謹慎処分となった里見さんは、静岡県の方広寺にこもって、座禅を組まれたそうですが、
そんな里見さんを見た住職は、
君がどんなに美しい顔を持ち、どんな芸をし、どんなに立派なことを言ってみても、人間の道から外れたら、すべてはウソになってしまう
と、説教されたとのこと。
ほどなくして(1965年のうちに)、里見さんは、仕事に復帰されています。
「里見浩太朗の昔は水戸黄門で助さん!大江戸捜査網と長七郎天下ご免も!」に続く