1959年、テレビ時代劇「風小僧」の主演でデビューすると、その後、同じくテレビ時代劇「白馬童子」でブレイクした、山城新伍(やましろ しんご)さんですが、1969年には、現代劇「不良番長」シリーズ第4作目「送り狼」でナンパな役をコミカルに演じ、新境地を開拓します。

「山城新伍の若い頃は白馬童子でブレイクし東映人気NO1だった!」からの続き

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内藤誠との出会い

山城さんは、1963年「雲の剣風の剣」に出演されているのですが、実は、この年、京都では集団食中毒が起こったそうで、助監督が足りなくなったことから、急遽、東京撮影所で「不良番長」シリーズ(第1~第3作)の助監督を務めていた内藤誠さんが応援に駆けつけます。

ただ、内藤さんが準備の段階で刀を選ぶも、京都撮影所の人たちからは、「ちがうどっせ」などと言われ、京都撮影所の現場の助監督としては全く使い物にならなかったそうで、

滝に打たれる裸になる女の子が必要だから、千中ミュージック(ストリップ劇場)に行って、女の子をハンティングして来い

と言われたそうですが、東京から来たばかりの内藤さんには場所が分かるはずもなく・・・

そんな時、山城さんが、

オレが付いて行ってやる

と、申し出たそうで、

二人で、一緒に「千中ミュージック」に行き、客席に座って、

どの娘がいい?

などと、踊り子さんを物色し、その後、一緒に飲みに行くと、

内藤さんは、

山城新伍ってこんなに可笑しい俳優だったのか

と、思われたそうです。

内藤誠に見いだされる

その後、東京撮影所では、「不良番長」シリーズの第4作目を内藤さんが監督することになり、第1~第3作までが、マーロン・ブランドの「乱暴者」(1953)、「地獄の天使」(1967)などの要素を取り入れたシリアスな作品だったことから、さすがに第4作目は、喜劇にしないと持たないと思った内藤さんが、

京都から山城新伍を呼んでくれ、単なる白馬童子だけの俳優じゃないから

と、山城さんを東京に呼び寄せられたそうで、

内藤さんは、後に、山城さんのことを、

山城は、京都で一緒にいるときも、実に面倒見のいい男なんだ。こういう人と一緒に、東京で映画ができたらいいなと思ったね。

と、明かされています。

「不良番長 送り狼」で新境地を開拓~東京撮影所に移籍

すると、山城さんは、1969年、「不良番長」シリーズの第4作「送り狼」で、ナンパな役柄をコミカルに演じ、強烈な存在感を示したそうで、

この「不良番長 送り狼」を見た、当時の映画本部長・岡田茂さんは、

山城新伍の起用は見事であった

と、監督の内藤さんに長い手紙を送られるなど絶賛。

主演の梅宮辰夫さんも、

最初の頃は、大原麗子さんなんかが出てて、シリアスなシリーズだったんだけどね、新伍が来てからガラッと作品の性格が変わっちゃった(笑)。だけどそれは大成功ですよ。結果から言えば大成功だけど、僕は最初、面白くなかった(笑)。

東映という映画会社はですね、東京は現代劇をやる、京都は時代劇。それぞれ俳優はどちらかに配属されるんですね。僕は東京だったんです。山城は京都だった。

時代劇の東映ですからね、京都には片岡千恵蔵さん、市川右太衛門さんを筆頭に、錚々たるメンバーがいたんですね。近衛十四郎さん、北大路欣也さん、里見浩太朗さん、松方弘樹さん・・・で、東京はその当時は高倉健さんと僕しかおらんかったんです。

要はね、東京のほうが手薄なんです(笑)で、あいつは京都では頭の上に突っかえてるのが沢山いるから(笑)。無理だなと判断して、それをキッカケに東京に出てきたんだろうね。居付くとは思わなかったんだ(笑)。1本か2本やって帰ると思ってた。帰らなかったですね(笑)。

と、山城さんあっての大成功だったとおっしゃっていました。

「仁義なき戦い」でアクの強い個性派俳優にイメチェン

こうして、東京撮影所で自身の居場所をつかみとった山城さんは、以降の「不良番長」シリーズ(第4~第16作)に最後まで出演されるほか、1970年には「帝王」シリーズにも出演。(梅宮さんと再び共演)

また、深作欣二監督とも交友を深め、1973年には「仁義なき戦い」シリーズに出演すると、二枚目からアクの強い個性派にイメージチェンジし、東映実録路線でも頭角を現すようになっていったのでした。


「仁義なき戦い」より。

(第二作「広島死闘篇」からの出演で、江田組組長で村岡組幹部(後に天政会理事)「江田省三(江田省一)」役。)

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梅宮辰夫との出会い

ちなみに、山城さんは、後に数多くの映画で共演し、プライベートでも親交が深くなる、梅宮辰夫さんと東京撮影所で初めて出会われているのですが、

(梅宮さんは、「不良番長」シリーズで主演を務め、すでにスター俳優として活躍されていました。)

梅宮さんによると、山城さんは、まだ、個室が与えられていなかったため、

一寸ゴメンヨ!

と、下着と洗面セットが入った「アダムandイブ」というブティックの大きな紙袋を持って、梅宮さんの部屋に入ってきたそうで、

梅宮さんが、

又、夕べも帰ってないのか?

と、言うと、

イヤ、そんな事はないヨ

と、言いながら下着を取り替えていたことをよく覚えていると、明かされていました♪

「山城新伍はどん兵衛CM共演の川谷拓三から嫌われていた?」に続く

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