「不良番長」でのコミカルな演技で強烈な存在感を発揮し、新境地を開拓すると、「仁義なき戦い」では、アクの強い個性派俳優にイメチェンを遂げた、山城新伍(やましろ しんご)さんですが、その後は、バラエティ番組にも進出すると、コメディセンスあふれる話術の才能を遺憾なく発揮。バラエティでも引っ張りだことなられます。

「山城新伍の昔は不良番長で梅宮辰夫と共演していた!」からの続き

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バラエティ番組に引っ張りだこに

「不良番長」シリーズ、「仁義なき戦い」シリーズの後も、数多くの任侠映画やギャング映画などに出演し、粗暴なヤクザ役、無口で職人肌の男の役ほか、悪役、市民役、刑事役など幅広く演じ、どの役でも圧倒的な存在感を示した山城さんですが、

一方で、バラエティ番組にも出演すると、辛辣でありながら温かみのある語り口調で人気を博し、バラエティ番組でも引っ張りだこに。


「新伍&紳助のあぶない話」より。

ちなみに、「不良番長」シリーズなどで共演し、プライベートでも親交のあった梅宮辰夫さんは、

山城新伍の調子がいいとこはね、京都から出てきて、常に僕が主役をやって、彼は脇だったんですよ。そうするとですね、映画の世界は、主役は必ず、脇役や下の連中の面倒を見るわけです。つまり、飲んだり食わせたりは全部主役の人がするわけですね。

僕はそういう意味で、山城の面倒をずーっと見てました。で、やがて後年になってから、映画がダメになってきて、みんなテレビに移るようになったんですよ。

山城新伍もテレビに行って、頭がいいし、回転も速いので、彼が司会をする番組に今度は僕がゲストで使われるようになってきた(笑)。立場がガラっと変わったんです(笑)。僕はですね、よし、こうなったらしばらくアイツにタカってやろうと(笑)思ったんですけど、ずっと割り勘でしたね(笑)。

と、おっしゃっていました♪

日活ロマンポルノなど映画監督も

ただ、山城さんご本人は、映画に対して熱い想いを持ち続けられており、俳優やタレント活動以外にも、「ミスターどん兵衛」(1980)、日活ロマンポルノ「女猫(めねこ)」(1983)、「双子座の女」(1984)、「せんせい」(1989)、「やくざ道入門」(1994)、「本日またまた休診なり」(2000)などで映画監督を務め、

日活ロマンポルノ「女猫(めねこ)」では、山城さん自身がファンだったことから、清純派女優として売り出されていた早乙女愛さんを口説き落として出演させたという経緯があり、結果、日活ロマンポルノの歴代売上第3位を記録する大ヒットとなっています。

また、「木曜洋画劇場」「火曜洋画劇場」などでは司会・映画評論などもされました。

CM「どん兵衛」共演の川谷拓三からは嫌われていた?

また、1976年には、「仁義なき戦い」シリーズで共演した川谷拓三さんと、日清食品「どん兵衛」のCMに出演されると、お二人のコミカルな演技が人気を博し、1990年まで続く人気CMに。

ただ、川谷さんとは、一時期、親交を深めるも、川谷さんの方から疎遠になっていったようで、その後、川谷さんは、山城さんのことを、

自分勝手で、弱い人間の気持などわからない。二度と仕事をしたくない。

と、マスコミに告白されていたそうです。

お二人の間で何があったのか詳細は不明ですが、最初から主演を務めていた山城さんと、一介の大部屋俳優から這い上がった川谷さんとでは、そもそも、考え方が合わなかったのかもしれません。

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チョメチョメ?

ところで、山城さんを「チョメチョメ」で多くの人が調べられているようです。

というのも、山城さんは、1981年、バラエティ番組「アイ・アイゲーム」に出演されているのですが、その際、伏せ字を「チョメチョメ」と表現し、この言葉が大流行。

翌年の1982年には、シングル「キャンパス チョメ、チョメ」(「メルヘン・ギャルズ」とのデュエット)まで発売されており、

新伍さん、私達帰りたくないの~どこでもいいから連れてって♪

などと、デュエット曲というよりは、ほとんどが山城さんとギャル達の楽しいおしゃべりで構成されていて、女性関係が頻繁に取り沙汰された、山城さんらしい一枚となっています♪

「山城新伍は嫁と結婚離婚を繰り返していた!娘からは絶縁宣言も!」に続く

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