1954年、映画「ゴジラ」で主演を務め、一躍、スターダムにのし上がった、宝田明(たからだ あきら)さん。その後、東映を代表する若手スターとして活躍すると、その華やかな二枚目ぶりは、日本のみならず、中華圏の女性をも虜にします。
「宝田明の若い頃はゴジラでブレイクし東宝二枚目トップスターだった!」からの続き
中華圏でも絶大な人気
1954年、映画「ゴジラ」で主演を務め、大ブレイクした宝田さんは、以降、
1955年「花嫁立候補」
1957年「青い山脈」
1959年「ある日わたしは」
1960年「山のかなたに」
と、立て続けに映画に出演されているのですが、
1960年代に入り、東宝と香港「キャセイ・フィルム」の合作映画「香港の夜 A NIGHT IN HONGKONG」(1961)、「香港の星」(1962)、「ホノルル・東京・香港 HONOLULU-TOKYO-HONGKONG」(1963)の3部作で、香港の女優、尤敏(ユーミン)さんとコンビを組んで、ラブロマンスを演じられると、香港、台湾など、アジア地域でも絶大な人気を博します。
「香港の夜 A NIGHT IN HONGKONG」より。宝田さんと尤敏さん。
そして、その後も、香港映画「最長的一夜The Longest Night」(1965)、日本・台湾合作「香港の白い薔薇」(1965)、台湾映画「愛ニィ入骨 Love You Till I Die」(1981)など(いづれも日本未公開)、得意の中国語を生かして、中華圏の作品に出演され、国際的にも活躍されたのでした。
中国語がペラペラ
このように、ハルビンで生まれ育った宝田さんは、中国語がペラペラなのですが、今でも、とっさのひと言が中国後になっている時があるほどで、
1994年、料理番組に出演された際には、料理の味見をしていて、ふと、
好吃(美味しい)
と言ってしまったことがあったそうで、
司会者になんと言ったのか尋ねられ、
あ、これ中国語で「美味しい」って意味なんです
と、説明したことがあったそうです。
また、同年、初恋の相手を探すバラエティ番組「逸見・森口の平成初恋談義」で、初恋の中国人女性と対面された際にも、通訳抜きで中国語で話をされていたそうです。
銀座のクラブを毎晩はしご
ところで、トップスターとなられた宝田さんは、
遊びたくもなりますよね、自分の金だもの。銀座なんてやっぱ夢だからねぇ。自分の金で飲むから何も文句言われることはないわな。
と、仕事が夜の9時頃に終わった後、撮影所から銀座に直行し、夜な夜な銀座のバーやナイトクラブをはしごしていたそうで、
車で向かうんですが、飲むと乗れないから置いて帰る。翌日取りに行くと、どこにあるかわからない。ドアボーイさんに聞くと“何丁目のどこどこに止めてあるよ”と教えてくれます。ピンクのキャデラックに乗っていたから、すぐにわかるんですよ。
と、豪快に遊ばれていたとのこと。
また、
当時は東西の酒の番付があったんです。西の横綱は勝新太郎、東の横綱は三船敏郎、石原裕次郎と僕。美空ひばり、江利チエミともよく飲みましたね。3人で飲んで、ウイスキー3本は軽く空くってことですね。家で飲んだらそんな飲めないですよ。
外で飲むときは飲みながら周りを気にします。僕らの酒っていうのは、1人対5人とかで飲まなきゃならない。だからみんなの乾杯なんか受けたりしても、グッとお酒を殺して(酔わないように)飲んでいました。
と、そうそうたるメンバーが飲み仲間だったことも明かされていました。