1962年「なみだ船」で、実質的な歌手デビューを果たすと、いきなり、ミリオンヒットを記録し、その後も、「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」「与作」と大ヒットを飛ばした、北島三郎(きたじま さぶろう)さん。今回は、そんな北島さんのご家族についてご紹介します。
「北島三郎のデビュー曲ブンガチャ節は卑猥で放送禁止となっていた!」からの続き
妻は?
北島さんは、1959年、24歳の時、流しの演歌師として渋谷で活動を開始されているのですが、その時、下宿していたアパートの大家さんの娘・雅子さんと結婚されています。
北島さんによると、雅子さんは、一人暮らしの北島さんに、
洗濯するよ
これ食べて
と、何かと声をかけてくれたそうで、
人間、ひとりじゃ生きていけない。寂しいときの人の情けは、涙が出るほど感動しますねえ。
と、雅子さんの明るさとバイタリティーに惹かれるようになったとのこと。
そして、出会ってからデートに誘うまでに1年もかかってしまったそうですが、その後、交際に発展すると、
ある日、北島さんは、
もし、もしもだよ、一緒になったら、どうなるだろう
と、雅子さんに、思い切って切り出したそうです。
すると、雅子さんは、
歌手が駄目だったら私が食べさせてあげるわよ
と、さらりと言ってくれたそうで、
そういう言葉が簡単に出る。嫁にもらうなら、こういう女だと。
と、北島さんは、雅子さんと結婚されたのでした。
ちなみに、それは、北島さんがデビューする3年前のことで、奥さんの両親からは、定収入がなかったことを理由に結婚を反対され、強引に結婚式を挙げたそうですが、
後に雅子さんは、
会ったとき、あんたの目を見て、なにかやりそうな気がした
と、おっしゃっていたそうです♪
北島さんと雅子さん。
次男は大野誠
そんなお二人の間には、男の子2人、女の子3人の、合計5人のお子さんが誕生しています。
まず、長男は、北島さんの個人事務所「北島音楽事務所」の社長を務めている、大野龍さん。長女は、一般人のようで、詳しいことは分かりませんでした。
そして、次男は、ロックバンド「1st BLOOD」のヴォーカルとして活動されていた、MAKOTOこと、大野誠さんです。
北島さんと大野誠さん。
大野さんは、幼い頃からギターを習うなど、お父さんの北島さんと同じ音楽の道を志すと、リードヴォーカルを務めるロックバンド「1st BLOOD」を結成し、1988年7月にデビュー。
その後、「1st BLOOD」は、アルバム2枚を発売した後、解散しますが、大野さんは、大地土子(だいち とこ)のペンネームで、北島さんの曲の作詞・作曲をされていたそうです。
ちなみに、大野さんは、「1st BLOOD」でデビューする際、
オヤジを超え、世界に通用するアーティストが目標。オヤジというでかい山を越えたい。
と、お父さんへの尊敬の念を交えて、目標を語っておられたそうですが、
それに対し、北島さんは、
乗り越えられないでしょう
と、笑顔で語っておられたそうです♪
次女は北山たけしと結婚
また、次女は、大野智子(おおの さとこ)さんといい、芸能活動はされていませんが、北島さんの個人事務所「北島音楽事務所」の社員として働かれているとのことで、
2009年、「北島音楽事務所」所属の歌手・北山たけしさんと結婚されています。
三女は水町レイコ
そして、三女は、歌手やアーティストとして活動されている、水町レイコ(みずまち れいこ)さん。
水町レイコさん。
水町さんは、幼い頃、アイドル歌手に憧れていたそうですが、小学5年生の時、映画「グーニーズ」を観て女優になろうと決意すると、その後、玉川大学で演劇を専攻。
玉川大学卒業後は、演劇集団「円」に入団し、舞台を中心に、テレビドラマなどにも出演していたのですが、2006年に演劇集団「円」を退団すると、その後は、「オスカープロモーション」に所属し、バラエティ番組に多く出演されています。
ちなみに、当初、水町さんは、お父さんが北島さんであることを伏せていたのですが、2005年には、バラエティ番組「踊る!さんま御殿!!」でお父さんと共演し、親子であることを公表されています。
「北島三郎の息子が死後1週間で発見!死因は心不全?孤独死だった?」に続く
水町レイコさんと北島さん。