16歳の時、ニッポン放送「ものまねのど自慢」に優勝したことがきっかけで芸能界入りすると、22歳の時には、「おひまなら来てね」でブレイクした、五月みどり(さつき みどり)さん。人気絶頂の中、一旦は、25歳で結婚し、芸能界を引退されますが・・・
「五月みどりのデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
「新栄プロダクション」社長・西川幸男と結婚
五月さんは、人気絶頂だった1965年、25歳の時、14歳年上の「新栄プロダクション」の社長・西川幸男さんと結婚されています。
五月さんによると、
私は違う事務所でしたし、顔見知り程度の間柄でした。複数の歌手の方と地方興行に行った時、旅館の部屋に呼ばれたんです。
部屋の障子を開けると、いきなり頭を下げて「結婚してくれ」って……。お父さんにすごく反対されました。でも、ずっと敷かれたレールを歩いてきたから、言いなりになりたくない自分がいたんですね。
と、結婚を決意。
結婚後は、芸能界を引退して、2人の子どもを出産し、主婦業に専念されていたのですが・・・
西川幸男との離婚理由は?
西川さんの支配力が強く、夫の考えを強いられてばかりの生活に耐えられなくなったことが原因で、結婚から6年後の1971年には離婚。
ただ、離婚の条件は、2人の子どもを置いていくことだったそうで、親権を西川さんに譲る形で離婚が成立したことに、
五月さんは後に、
身を切るほど辛かった。
子供に会いたくても夜も眠れず、家の近くに何度も行っては泣いて、でも徐々にたとえ会えなくても子供が生きていてくれることが幸せだと思うようになりました。
と、当時の辛すぎる心境を明かされています。
「五月みどりのかまきり夫人の告白」で再ブレイク
その後、五月さんは、芸能界に復帰されているのですが、1975年、36歳の時には、ポルノ映画「五月みどりのかまきり夫人の告白」で、夫の浮気に嫉妬し、なまめかしい肉体を武器に、次々と男たちを誘惑して破滅させる、主人公の魔性の女を演じると、再ブレイク。
そして、その後、40歳を過ぎても、
「マダム・スキャンダル 10秒死なせて」
「悪女かまきり」
「奥様はお固いのがお好き」
と、ポルノ作品で主演を務めると、若々しい肉体と大胆な演技で多くの男性を魅了し続けたのでした。
ちなみに、五月さんは、後に、
ロマンポルノのお話をいただき「面白そう」とお受けしました。周囲からは紅白に出た歌手なのにと色眼鏡で見られたこともあります。昔から、面白そうと思ったことはすぐやってみたくなるの。
それに、過去よりも現在の自分を見てもらいたかった。父は反対すると思いきや、私のヌードポスターを自宅に貼っていました。当時、脱ぐの若い人ばっかりだったので、自分で言うのはなんですが、熟女ブームの先駆けとなったかもしれないと思います。
(かまきり夫人の告白では)撮影は恥ずかしかったけど、楽しかったです
と、当時、充実していたことを明かされていました。
「クイズダービー」にレギュラー出演
また、五月さんは、日活ロマンポルノに出演されるかたわら、1976年からスタートした「クイズダービー」にも2枠のレギュラーとして出演されています。
「クイズダービー」より。中央が五月さん。
ちなみに、勝率は4割6分8厘だったそうで、レギュラー降板後も、たびたび、5枠のゲスト解答者として出演されましたが、レギュラー時代よりも問題が難しくなったこともあり、勝率は2割台に下がってしまったとのことでした。
ラブホテルを経営していた
こうして、五月さんは、西川さんと離婚後は、芸能界に復帰されているのですが、
その一方で、
一度、千駄ヶ谷の連れ込みホテルに入った時、部屋も布団もすごく汚らしかったんですね。良い思い出を作る場所なのに、悲しくなった。
じゃあ、私がホテルを作ってみようと。大阪のラブホテル街にも行って研究しましたよ。
と、東京・渋谷の円山町で、なんと、ラブホテルの経営もされていたそうです。
元夫・西川幸男の葬儀に参列
ところで、2013年には、西川さんが、「間質性肺炎」のため、87歳で亡くなっているのですが、五月さんは、芸能界での絡みがあったのか、葬儀に参列。
西川幸男さん。
今、こういう男性はなかなかいないと思う。こういう人、いなかったと思う・・・恐かったけど、すばらしい人。
と、元ご主人の死を悼まれていました。
「五月みどりは3度の結婚離婚!現在は事実婚を20年超継続中?」に続く
元夫・西川幸男の葬儀に参列する五月さん。