交際していた専門学校生への執拗な取材に激怒し、講談社「フライデー」編集部をたけし軍団とともに襲撃した、ビートたけしさん。当初、世論はたけしさんに同情的だったのですが・・・

「ビートたけしは昔フライデーを襲撃していた!その理由とは?」からの続き

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当初は世論もたけしに同情的

12月9日午前3時過ぎ、「たけし軍団」(一部のメンバーを除く)と共に写真週刊誌「フライデー」を襲撃したたけしさんですが、

同日夕方には、「フライデー」側がさっそく会見を開き、

言論・出版の自由を脅かす暴挙に対して、断固たる態度で臨む

と、コメントを発表するとともに、たけしさんに殴られた編集部員の写真などをマスコミに公開。

すると、当初は、けがの様子を臆することなく披露し、こんな事件に「言論の自由」云々を持ち出す「フライデー」側に対して、世論の批判は大きく、たけしさんに同情的だったのですが・・・

半年間の活動自粛

やがて、新聞系のメディアが、

テレビも問題の当事者である

と、テレビ局への批判を強めていき、

12月15日、たけしさんが事件後初めて、「元気が出るテレビ」(12月28日放送分)の番組収録で復帰すると、たけしさんへの世論の批判も一気に高まります。

これを受け、当時たけしさんが所属していた「太田プロダクション」は、たけしさんと「たけし軍団」のメンバーに謹慎(約半年間の芸能活動自粛)を言い渡し、

たけしさんは、12月22日の記者会見を最後に、約半年間、公式メディアに登場することはなかったのでした。

記者会見でのたけしのコメント

ちなみに、たけしさんは、記者会見中、

お茶の間に与えた影響をどのように考えているか

との質問に、

親が家庭を守るように、俺の場合は愛人もいたから、それを守っただけで、そういう行為を絶対悪く思ってない、ただ、暴力行為、集団でもみあったという行為が悪いとするならば、それは、親が、あれはたけしが悪いんだ、と言えばいいだけのこと。

それが、子どもに悪影響を及ぼすということは、それ以前の問題。子どものことというのは、俺の事件の前にもイジメで死んでるやつはいるし、次元が違うと思う。

と、答えられているほか、

世間ではたけしさんの支持が多いですが?

という質問には、

大衆というのは声が大きい方に付くものだ、マスコミが僕を叩き出せば一緒になって叩き始める。でも、そういうところで食って来たんだからしょうがない。

と、逃げも隠れもしない、筋の通った発言をされており、現在においても、ネット上で大きな反響を呼んでいます。

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懲役6ヶ月(執行猶予2年)の判決

その後、たけしさんと講談社の間には示談が成立したのですが、にも関わらず、当時の官房長官・後藤田正晴氏が、この事件をきっかけに、写真週刊誌による政治家たちのスキャンダル報道を食い止めようと意図し、

これは(略式起訴による罰金刑ではなく)裁判にしなければいけない

と発言。

これにより、たけしさんは裁判にかけられると、1987年6月10日、懲役6ヶ月、執行猶予2年の判決が下り、控訴しなかったため、刑が確定。

(「たけし軍団」のメンバーは不起訴処分となり、裁判にはかけられませんでした。また、たけしさんと交際していた専門学校生の女性に対する暴行で告訴された記者は、1987年12月22日に、罰金10万円の判決が下りました)

ちなみに、謹慎中、たけしさんは「たけし軍団」に対し、

俺もお前らも芸能界にいられなくなっちゃってごめんな。土方(どかた)やってでもお前らを一生養わなきゃなぁ

と語ったと言われています。

「ビートたけしはフライデー襲撃になぜつまみ枝豆を呼ばなかったのか?」に続く

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