恵まれた環境の中、歌舞伎役者の道を邁進されていた、萬屋錦之介(よろずや きんのすけ)さんですが、やがて、太平洋戦争が勃発した後も、萬屋さんは、疎開を拒み、進んで戦火の東京で歌舞伎の稽古を続けたそうです。

「萬屋錦之介の両親は?幼少期から叔父・初代中村吉右衛門に目をかけられていた!」からの続き

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幼少期から進んで歌舞伎役者への道を邁進

4歳で初舞台を踏むと、その後は子役として、お父さん(三代目中村時蔵)や叔父さん(初代中村吉右衛門)の舞台に出演されていた萬屋さんは、小学校に入学してからも、学校、稽古場、歌舞伎座の3つの場所を行き来するだけの生活を送られていたそうですが、

物心ついた時から、偉い歌舞伎役者になると決心し、その目標に向かって邁進していたそうで、周囲からの期待も大きく、役者以外の道を考えたこともなかったため、全く苦にならなかったそうです。

ちなみに、その反面、小学校の成績は悪く、劣等生だったそうですが、裕福な家庭でお坊ちゃんとして育ったことや、そのコンプレックスを補って余りあるほど、歌舞伎役者としての優越感とプライドを抱いていたのだそうです。

歌舞伎のため疎開を拒み東京に残る

しかし、やがて「太平洋戦争」の戦火が激しくなると、1944年8月には、学童疎開が始まり、萬屋さんが通う小学校も集団疎開を始め、翌年の1945年(萬屋さん11歳)には、いよいよ、萬屋さん一家も、お母さんが姉二人と妹二人と弟を連れて、新潟県の池の平という所へ疎開することに。

そして、萬屋さんも、当初はお母さんたちと一緒に疎開させられる予定だったそうですが、萬屋さんは、「良き歌舞伎役者になるためには東京を離れてはいけない」と、子供心に思っていたことから、お父さんの時蔵さんと3人のお兄さん達とともに東京の家に残ることを強く希望したそうで、

母は勿論、錦一(萬屋さん)がまだ子供であるとの理由で反対、父もまた、私が小さいので足手まといになることを恐れ、母と共に疎開することが安全と反対しました。

しかし私もこの時は懸命に両親の反対に抵抗しました。そして漸(しばら)く東京に残ることを許されました。

と、萬屋さんは、当時のことを、自伝「ただひとすじに」に綴っておられます。

心細さを堪え歌舞伎の稽古を続ける毎日

その後も、東京では歌舞伎の公演は行われていたのですが、やがて、子役は出演することができなくなり、萬屋さんは、子役として舞台に立つ機会を失ってしまいます。

それでも、萬屋さんは、変わらず、真剣に芸事の稽古を続けられていたそうですが・・・

さすがに、お母さんたちが疎開してからというもの、大きな家に、萬屋さんとお父さんと3人のお兄さん達と世話をしてくれる2、3人の弟子だけとなってしまい、

私たち兄弟は寂しそうな父に心配をかけてはいけないと暗黙のうちに言い交わしていたのです。なにか弓の弦をピンと張ったような緊張した生活でした。

乏しかった食糧も発育ざかりの私たちには全く不足なものでした。しかし、不平ももらすことなく私たちは分けあって食べたものでした。

疎開先から母が婆やと共に重いリュックを担い大きな袋に食糧をつめて度々運んでくれました。(中略)母が二日程いて疎開先に帰ります。兄たちも寂しそうに母を見送っておりました。

(中略)母もまた、心を残して侘しさを瞳にたたえながら婆やと共に空のリュックと袋を持って帰って行くのでした。

と、好きな歌舞伎を続けるためとはいえ、心細い気持ちを堪えられていたようです。

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空襲で三河台から世田谷へ引っ越しするも・・・

そんな中、1945年1月27日、「B29」が東京郊外の武蔵野町にあった「中島飛行機武蔵製作所」を狙って出撃すると、76機のうち56機が目標を変更し、有楽町・銀座地区へ空襲を開始したそうで、

(それまでは、主に軍需工場や港湾施設を狙っていたアメリカ軍の空襲が、民家に対して行われるようになり、この空襲で、有楽町駅は民間人の死体であふれたそうです)

「歩兵第3連隊」の兵舎が近所にあった萬屋さん一家は、それからまもなくして(1945年2月頃)、空襲で狙われることを恐れ、知人の家を借りて世田谷へ移り住んだそうですが、

お父さんと3人のお兄さんは、交代で三河台の実家に泊まりに行っていたそうで、

萬屋さんは、その時のことを、

それは私たちにとって、父が泊っても長兄が泊っても不安なものでした。そんな夜、無気味な空襲を報せるサイレンが唸ると、もしものことがなければと防空壕の中で神に念じたものです。

爆弾が落ちても父と一緒に死ぬのならと思うと、その頃の私はそれ程恐怖感がなかったのですが、父が三河台の家に泊りにいっている時にサイレンでもなると不安でその夜は眠れない程でした。

と、語っておられました。

「萬屋錦之介は少年時代に戦争で実家も歌舞伎座も焼け落ちていた!」に続く

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