死去から2年後の2010年、「日経新聞」朝刊に連載の「私の履歴書」の中で、女優の有馬稲子さんに不倫関係にあったことを暴露された、市川崑(いちかわ こん)さん。今回は、有馬さんの証言をもとに、お二人の関係についてご紹介します。
「市川崑監督の息子は市川南?娘は?子煩悩だった?」からの続き
女優・有馬稲子と不倫関係だった
市川さんは、女優の有馬稲子さんと不倫関係にあったそうです。
実は、有馬さんが、2010年、「日経新聞」朝刊に連載の「私の履歴書」や、2018年発売の自伝「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」、2019年のインタビューなどで、市川監督との関係を赤裸々に明かされているのです。
(文章&インタビュー内では監督の名前は伏せられているものの、内容は明らかに市川さんを示しています)
有馬稲子との出会い
有馬さんは、1953年、21歳の時、「宝塚歌劇団」から「東宝」に移籍されているのですが、その有馬さんを市川さんが、映画「愛人」に起用したことで、お二人は知り合われたそうで、
有馬さんは、
(市川監督は)ものすごく手がきれいでね、絵がうまかったんですよ。これから撮る映画の絵コンテをサラサラって描いていたんだけど、それがものすごくうまかったの。
それにヘビースモーカーでタバコをよく吸っていたけど、きれいな指にタバコをはさんで吸うときは本当にカッコ良かった。彼以上に美しいポーズでタバコを吸う人は見たことがないわね。
手がきれいだったっていうのは、忘れられないくらいすてきだった。手に惚れたんじゃないかしら、私(笑)
と、出会ってすぐに、市川さんに惹かれたことを告白されています。
当初は師弟のような関係だった
有馬さんによると、市川さんは、有馬さんよりも17歳も年上で、妻子持ちだったのですが、とてもおしゃれでおじさんには見えず、また、時代の先端を行き、文化の知識も豊富だったそうで、
一緒に、映画、美術館、音楽会などに行くと、
一流のものとそうでないものを見分ける目を持たなければいけないよ
と、まるで先生のような存在だったそうです。
実は、有馬さんは、幼い頃から、実のお父さんに日常的に暴力を振るわれ、荒んだ家庭で育たれたことから、優しく頼れるお父さんのような人に病的に飢えており、市川さんがとても頼りがいのある男性に思われたそうで、市川さんにますます惹かれていったのでした。
婚姻中に有馬稲子にプロポーズしていた
そして、出会って1年位経った頃、
妻とうまくいっていなくて別居している。きちんとしたら君と結婚したい、春までには・・・
と、市川さんからプロポーズされたそうで、
まだ21歳でねんねでしたから、「妻と別居している、きちんとしたら君と結婚したい」という言葉を信じていたんですよね。よく7年も続いたと思いますけど、感覚としては短かった。なかなか会えなかったから。
私も1年に数本の映画の撮影が入っていたし、彼も忙しい監督でしたから、2カ月に1回会えるかどうかという感じだったんです。それがかえって良くなかった。なかなか会えないから会ったときは余計カーッとなっちゃうわけですよ。
と、有馬さんは、その言葉を信じて待ち続けたそうですが、何度も結婚を引き伸ばされたそうで、ズルズルと関係を続けてしまい、結果的には、関係は7年にも及んだのだそうです。
ちなみに、有馬さんは、そんな不毛な関係にたまらず、作家の川端康成さんに相談されたこともあったそうで、
そんな男は君と結婚するはずがない。別れなさい。
と助言されたそうですが、市川さんとはなかなか別れることができなかったのだそうです。