任侠道に生きる男の姿を描いた「日本侠客伝」シリーズや「昭和残侠伝」シリーズで、全共闘世代の男性を中心に圧倒的な支持を集め、たちまち、時代を象徴する映画スターとなられた、高倉健(たかくら けん)さん。今回は、そんな高倉さんの闘病・死因についてご紹介します。

「高倉健は児島美ゆきと交際していた!」からの続き

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前立腺ガンが寛解するも悪性リンパ腫が発覚

高倉さんは、2009年頃、「前立腺ガン」が判明し、手術を受けられると、その後、治療の甲斐あって寛解するのですが、

(「寛解」とは、放射線治療や抗がん剤治療などのガン治療を行った結果、「とりあえず、ガンの症状が消えた。確認できなくなった」といった意味で、「完治」とは区別されています)

2013年頃、毎年1~2回行われる経過検査で、「悪性リンパ腫」が発覚。

ただ、それほど病状が悪くなかったため、投薬治療を続けられていたのですが、2014年に入ると、腰の痛みが激しくなり、リンパ腫の転移が発覚。

夏を迎える頃には、立ち上がることさえ難しくなるほど痛みが激しくなったそうで、7月以降は、入退院を繰り返していたそうです。

死因は悪性リンパ腫

それでも、8月には、大分県内で行われた「健康家族」のCMの収録に参加されており、

芸能関係者によると、

健さんは点滴を受けながら撮影現場に向かったそうです。でも、現場では、関係者が体調が悪いとは全く気がつかないほど、いつもと変わらぬ様子で撮影に挑んでいたんです。最後まで“プロの役者”としての矜持を守り通したんです。
※矜持(きょうじ)とは、誇りやプライドのこと。

と、撮影現場ではスタッフに気を遣い、休憩時間でも座らないことで有名だった高倉さんは、このCM撮影でも、一度も座ることはなかったのだそうです。

しかし、10月上旬には、腰の痛みが限界に達し、都内の病院に入院することに。

そして、入院後も、次回作に出演するため、懸命に治療を続けられていたのですが、容態が急変。意識不明となり、その数日後の2014年11月10日、関係者に見守られ、安らかに息を引き取られたのでした。

死因は、「悪性リンパ腫」。享年は83歳でした。

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所属事務所「高倉プロモーション」が発表したコメント

ちなみに、高倉さんの所属事務所「高倉プロモーション」から、

生ききった安らかな笑顔でございました。

 「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」

83歳の命を全ういたしました。治療に携わってくださいました病院スタッフの皆様から温かい涙とともにお見送りをいただき、故人の遺志に従い、すでに近親者にて密葬を執り行いました。

これまで、お励ましいただきました皆様、心より深く感謝申し上げます。ありがとうございました。今は、お一人おひとりの心の中に宿る故人の笑顔に、静かに祈りをささげていただけますことを願っております。

と、高倉さんの死去が発表されたのですが、

高倉さんは、

病床の姿は見せたくない

“鉄道員”の主人公のようにひっそりと死にたい

と、親しい人に漏らしていたため、入院もごく親しい関係者だけにしか伝えられておらず、

死去の発表も、

密葬を済ませてから

との高倉さんの意向で、死去から9日目の公表となったのだそうです。

(「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」は、比叡山の酒井雄哉大阿闍梨(さかいゆうさいだいあじゃり)から贈られた言葉で、高倉さんの座右の銘。1983年、過酷な撮影が予想された映画「南極物語」への出演を決心させた言葉だったと言われています)

「高倉健の養女は元女優の小田貴月(貴倉良子)!馴れ初めは?」に続く

若かりし日の高倉さん。

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