プライベートを明かさず、銀幕のスターのイメージのまま、2014年11月10日に息を引き取った、高倉健(たかくら けん)さんですが、高倉さんの遺言を巡り、養女と親族の間でトラブルがあったようです。
「高倉健が小田貴月と結婚せず養女にした理由とは?」からの続き
養女(小田貴月)が親族に連絡が遅れた理由
どこから漏れたのか、高倉さんの死後、まもなく、養女である小田貴月さんの存在が報道されると、
それからほどなくして、小田さんが、高倉さんの死を親族に一切知らせず、
- 火葬場で密葬した
- 生前、高倉さんが購入した墓地(鎌倉霊園で、高倉さんと前妻・江利チエミさんとの間の水子が祀られていた)を更地にした
- 高倉さんの遺骨を散骨した
- 高倉さんの自宅(前妻・江利さんと住んでいた場所)を取り壊した(その跡地に小田さんは新築を建設)
- 高倉さんの愛車やクルーザーを処分した
などのほか、約40億円といわれる財産をすべて小田さんが相続したことが報道されるのですが、
小田さんによると、高倉さんの親族への知らせが遅れたのは、高倉さんが親族に小田さんのことを伝えていなかったため、その小田さんから連絡を受けても、親族が戸惑われるだろうとの配慮からだったそうで、
高倉さんが亡くなった時、小田さんの存在を知る数少ない人物である、高倉さんの事務所の専務が病室に来られた際(小田さんが相談したのか)、
僕から伝えます
と、言ってくれたため、その方に託したそうですが、
正確ではない内容が伝えられたそうで、詳細は不明ですが、そのことが原因で、親族とトラブルになったようで、
小田さんは、
他人任せにした私の未熟さでもありますが、時間は取り戻せません。
と、語っておられます。
養女(小田貴月)が高倉健の愛車やクルーザーを処分した理由
また、小田さんは、高倉さんの愛車やクルーザーを、親族の知らないうちに処分したことについては、
生前、高倉はプライベートを明かすことを良しとしませんでした。中でも家は”聖域“です。死後もそんな高倉の思いを貫きました。
高倉は愛車を何台も持っていました。ただ、乗る人のいなくなった車をいつまでも維持するわけにはいきません。クルーザーも然り。車も船も扱いを間違えれば、人をケガさせる凶器ともなる。それを常に意識していなければいけないと高倉は言っていました。
高倉の履歴のあるものが事故を起こしたとなれば、高倉が悲しむのは必至。処分は、そういう思いを託されてのこと。高倉の親族とはお互いの弁護士を通じて、話がついておりますので、これ以上私からお話しすることはありません。
と、明かされているほか、
高倉さんを、生前購入していた鎌倉霊園に入れず、散骨したたことについても、
はい。ひとりで行いました。高倉にとって死はタブーではありませんでした。生前から「任せたよ」と何度も言われていたのです。
やるべきことは高倉の遺志を引き継ぎ、名誉を守り続けるために粛々と事を進めること。葬儀や散骨も、その遺志を尊重してのこと。個人的でデリケートであるべき話が、曲解されていることが残念です。
と、すべて、高倉さんの意向に従ったまでであったことを明かされています。
(そのほか、戒名や四十九日の法要も不要というのも、高倉さんの意向だったそうです)
実妹が兄・高倉健の死を知ったのは死去から2日後だった
一方、高倉さんの親族(妹の森敏子さん)が高倉さんの死を知ったのは、2014年11月12日の朝、つまり、高倉さんの死から2日後のことだったそうで、
(高倉さんには、お兄さんが一人、妹さんが二人おられたそうですが、お兄さんももう一人の妹さんも他界されているため、森さんがたった一人の兄妹)
地元・福岡の病院で、「白内障」の手術のためベッドの上にいた森さんは、息子(高倉さんの甥)でファッションデザイナーの森健さんから、
伯父(高倉さん)が亡くなったという情報がある
と、聞かされ、高倉さんに連絡するも、連絡がつかなかったそうで、
高倉さんが所属していた事務所の専務に連絡し、
何かあった?兄は元気なの?
と尋ねたそうですが、専務の答えは要領を得ず、この日の夜遅く、専務から、高倉さんの死を告げられたのだそうです。
(後に、この11月12日が高倉さんの密葬の日だったことを知ったそうです)
実妹が切々と無念を語る
ちなみに、森さんが、養女(小田貴月さん)の存在を知ったのは、
専務から、
いままで黙ってた。女房にも言えんかった。
と、高倉さんの死去から約半月後の11月27日に聞いた時だったそうですが、
森さんは、
兄と私は仲がとてもよく、喧嘩もせず、何でも話してきた間柄です。「何かあればファクスくれ」と言われていたし、事実そうしていました。
すると、すぐに電話があるようなマメな人。ファクスは世田谷の自宅へ、手紙の場合には赤坂の高倉プロへといった取り決めがありました。
私は息子には常々言ってきたんです。おかしな話だけど、兄は身内とかじゃなくて、日本の、世界の人。だから私たちが足を引っ張ってはいけない、兄の名前を出したりしたら絶対いかん、と。
私が東京へ出向いても電話はしますが、会ったりはしませんでした。でも、いま考えればそれも悪かったですね。やっぱり、世田谷の家へ行くようにしていれば良かった。あそこへは火事になったときにしか行ったことがありません。
と、連絡方法に独特の取り決めはあったものの、兄妹仲が良かったこと、自身が、兄とはいえ、高倉さんに対して、かなり気を遣っていたことを強調されたほか、
最後に電話で話したのは……10月頭くらいでしたでしょうか。変なことを言うんですよ。「仏は上から見てるからな」って。「必ず見てる」と3回繰り返しました。
どういう気持ちで言っているのか見当がつかない私に、くすっと笑って、しみじみと、「お前幸せな女やな」とも。兄自身は悪性(リンパ腫)で死期がそう遠くないのを悟っていて、それを私に告げるわけにはいかないけど、匂わせたかったんでしょうか。
いまでは、「死んでも上から見守ってるぞ」っていう意味だったと理解しています。実は、この電話以降、普段通りに手紙もファクスも送り、留守電にもメッセージを入れましたが、折り返しがありませんでした。おかしいね、と皆で言い合っていたんです。
いまもまだ、兄が亡くなった時間帯に目が醒めるような日が続いています。ふっと現れて、「あら、お兄さん」と声を掛けても、いつの間にか姿がなくなっている。
娘に伝えたら、「正」の字をつけて数えればと言われたのでそうしました。一昨日も出た、昨日も出た。それで、113日目。連夜見かけていた兄がついに振り返り、話したんです。
内容ですか?……胸の中に大事にしまっておきたいと思います。とにかく、毎朝お経をあげて拝んでいます。初盆も彼岸も月命日も、戒名はないですが、本名で供養してきた日々です。
と、兄を想う日々が続いていることも強調されており、
よほど、突如現れた養女(小田さん)という存在に遺産のすべてを持っていかれたことが無念なご様子でした。
(実際には、小田さんは、17年という長きに渡り、高倉さんと共に暮らし、尽くされているのですが)
さて、いかがでしたでしょうか。
高倉さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?芸名「高倉健」はいやいや?
- 炭鉱の町「川筋」で生まれ育つ
- 中学・高校時代は英語とボクシングに熱中
- 酒とケンカに明け暮れる無軌道な日々
- 就職できず実家に帰るも再び上京
- マキノ光雄にスカウトされて「ニューフェイス第2期生」として東映に入社
- 「俳優座養成所」では落ちこぼれだった
- 厚待遇でデビューするもパッとせず
- 美空ひばりは相手役の高倉健に不満を抱いていた
- アクションスターへ
- 筋力トレーニングに励む
- 「日本侠客伝シリーズ」で大ブレイク
- 「網走番外地シリーズ」「昭和残侠伝シリーズ」でも大ヒット
- ワンパターンで量産される任侠映画で毎回同じ演技を続けた理由は?
- 「高倉プロ」設立を反故にされたうえ冷遇されるようになる
- 岡田茂に冷遇され「東映」退社を決意
- キャバレーで歌ったことも
- 「八甲田山」「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」で再ブレイク
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(映画)
- 米映画「ザ・ヤクザ」では納得いかない脚本を変更させていた
- 「日本アカデミー賞」「紫綬褒章」「文化功労者」など多数の受賞・受章歴
- 映画「あなたへ」は6年ぶりの映画出演
- 盟友・降旗康男監督と10年ぶりの仕事だった
- 「あなたへ」でナインティナイン岡村隆史と初共演
- 江利チエミと結婚
- 高倉健は江利チエミのファンだった
- 2億円横領、妊娠中絶、自宅全焼
- 江利チエミは寂しさでアルコールに依存するように
- 江利チエミと離婚
- 江利チエミとは憎しみ合って別れたわけではなかった
- 亡き元妻・江利チエミへの想い
- 江利チエミのことを生涯後悔していた
- 女優の児島美ゆきと交際していた
- 高倉健が児島美ゆきを誘っていた
- 「普通の幸せ」を求めていた?
- 交際報道後は児島美ゆきに別れを告げていた
- 前立腺ガンが寛解するも悪性リンパ腫が発覚
- 死因は悪性リンパ腫
- 所属事務所「高倉プロモーション」が発表したコメント
- 高倉健の死去後、養女の存在が報じられる
- 小田貴月との馴れ初め
- 手紙のやりとりで親交を深める
- 高倉健と小田貴月の生活とは?
- 小田貴月は高倉健の幸せが自分の幸せと思っていた
- 長いロケに出る時はサイン入りの婚姻届を置いていった
- 「結婚」ではなく「養女」にした理由とは?
- 養女(小田貴月)に看取られて息を引き取る
- 養女(小田貴月)が親族に連絡が遅れた理由
- 養女(小田貴月)が高倉健の愛車やクルーザーを処分した理由
- 実妹が兄・高倉健の死を知ったのは死去から2日後だった
- 実妹が切々と無念を語る
について、まとめてみました。
映画館で観客がスクリーンに映る自分に熱狂している姿を目の当たりにし、ファンが求める映画スター「高倉健」を、生涯演じ続けた高倉さん。
近年、プライベートを切り売りしている芸能人が多い中、高倉さんは、最後の銀幕のスターと言えるのかもしれません。
高倉さんのご冥福を心よりお祈り致します。
「高倉健の生い立ちは?大学時代は酒とケンカに明け暮れていた!」