幼い頃は、極貧生活なうえ、ひどいイジメに遭っていた、木の実ナナ(きのみ なな)さんですが、中学3年生の時、友達思いでした行動が、木の実さんの人生を大きく変えることになります。

「木の実ナナの幼少期は極貧のうえイジメられっ子だった!」からの続き

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歌手を目指す友達のため校長先生に直談判

幼い頃、ひどいイジメに遭っていた木の実さんですが、そのせいか、困っている人をみると、放っておけない性格だったそうで、

木の実さんが中学3年生の時、歌手を目指していた友達が、「オーディションを受けたい」と担任の先生に相談するも、中学生だからという理由だけで反対され、しょんぼりしている姿を見ると、放っておけなくなり、なんと、担任がダメなら校長先生にと、木の実さん自ら、校長先生に直談判しにいったそうです。

すると、校長先生は、そんな友達思いの木の実さんの熱意に打たれてか、「お前が付いていくならいい」という条件で、了承してくれたのだそうです。

友達の付き添いで行ったオーディションに合格

こうして、木の実さんは、「渡辺プロダクション」が開催した第1回目のオーディションに、友達の付き添いとして同行したのですが、肝心の友達はというと、緊張のあまり歌えなくなってしまったそうで、

審査員に、

代わりにあなた歌ってみたら

と、言われたことから、木の実さんが、コニー・フランシスの「カラーに口紅」を歌ったところ、見事、1次審査に合格。

そして、その後の2次審査にも合格したのでした。

芸能界入りを決意

そんな木の実さんは、ちょうど、中学3年生の進路を決めなければならない時期で、中学卒業後は、進学せずに働くつもりでいたそうですが、どんな仕事に就けばいいか決めかねていたため、オーディションでの合格は、渡りに船とばかりに、芸能界に入ることを決意。

私、進路が決まったよ!

と、意気揚々と家族に報告されたそうです。

(木の実さんは、幼い頃から、欲しい物をあまり買ってもらえず、「自分が欲しいものは自分で稼いで買え」と言われて育ったため、早くお金を稼ぎたかったそうで、「ちょうどよさそうな職場が見つかってよかった」と軽い気持ちで芸能界に入られたそうです)

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「東京キカンボ娘」で歌手デビュー

こうして、木の実さんは、翌年の1962年、「東京キカンボ娘」で歌手デビューし、


「東京キカンボ娘」より。

同年、いきなり、音楽バラエティ番組「ホイホイ・ミュージック・スクール」で司会者にも起用されると、たちまち人気を博したのでした。


「ホイホイ・ミュージック・スクール」より。

ちなみに、木の実さんは、

デビューも芸名も、おまけにデビュー後すぐに決まった歌番組の司会も、オーディションで選ばれたんです。この番組では世界中の歌を歌わされました。でも私は視力が悪くて、カンニングペーパーを出されても見えない。だから歌詞は全曲分、覚えました。

若いときにはちゃんと覚えられるんですよね。この経験が後々、本当に役に立った。ショーをやるようになったときにあらためて気付いたんですが、このときの経験のおかげで知らず知らずに曲のレパートリーが広がっていたんです。

いい経験をさせてもらったと思います。あのときは大変でしたけど、大変なことをしないといいものは生まれないんですよね。

と、語っておられました。

「木の実ナナは昔人気低迷しアメリカで舞台修行していた!」に続く

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