吉永小百合さんと共に数多くの「日活純愛路線」映画で主演すると、たちまち人気を博し、日活のトップスターに上り詰めた、浜田光夫(はまだ みつお)さん。しかし、そんな順風満帆だった浜田さんに悲劇が襲います。

「浜田光夫の若い頃は吉永小百合と恋人役多数!演技も絶賛されていた!」からの続き

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ガラスの破片で右目に大怪我

浜田さんは、1966年7月25日、22歳の時、仕事帰りに、先輩の葉山良二さんらと、名古屋市の歓楽街「女子大小路(じょしだいこうじ)」のサパークラブで飲んでいると、突然、酔った客に絡まれ、電気スタンドで葉山さんが殴られたそうで、

葉山さんの隣にいた浜田さんが、ガシャンという音に顔を上げたところ、割れた電気スタンドのガラス破片が飛んできて、浜田さんの右目に直撃。右目がまったく見えなくなってしまいます。

大手術で失明は免れる

すぐに、名古屋大学医学部附属病院に救急搬送された浜田さんですが、ガラスの破片がレンズ部分の水晶体にまで到達していたそうで、眼球が破裂し、水晶体を保護する房水が流出していたことが判明。

このことから、医師は、眼球を摘出した方がいいと言ったそうですが、

目が無くなったら、俳優生命が終わりになるので、なんとか目を残してほしい

と、浜田さんは、必死に医師に懇願したそうで、

その浜田さんの必死の願いを受け入れた医師は、黒目を0.3ミリの間隔で32鍼縫い上げる眼球縫合手術を敢行。

すると、8時間に渡って行われた大手術は無事成功し、浜田さんは、奇跡的に失明を免れたのでした。

(この事故で、浜田さんは、吉永小百合さんとコンビで出演予定だった「愛と死の記録」を降板。渡哲也さんが代役を務められることとなりました。)

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復帰するもケガの後遺症で2枚目から3枚目に転向

その後、浜田さんは、約8ヶ月の入院生活を終え、1967年3月には退院されるのですが・・・

視力は取り戻したものの、黒目には傷が残り、白く濁った状態となってしまいます。

それでも、翌年には、

ファンに励まされたが、復帰までの1年は不安で声優になるしかないとも考えた。でも復帰作に裕ちゃんや小百合ちゃんらが総出演してくれ、みんなが待っていてくれたことが希望でした。

と、石原裕次郎さんや吉永小百合さんなど日活のオールスターが友情出演した「君は恋人」で、復帰されたのですが・・・

その見た目の傷以上に後遺症は深刻で、撮影では、強いライトの照明に耐えられず、目を開けていることも辛かったそうで、

目を保護するため、スモークやハーフトーンのサングラスが必需品となり、これまでのような目の演技もできなくなり、「涙の季節」(1969)など、従来とは異なる、コミカルな役柄に転身。

その後、「日活」が路線をロマンポルノに変更したことから、浜田さんは、「日活」を退社し、「石原プロ」に移籍すると、テレビドラマに活動の拠点を移し、

1970年には、テレビドラマ「お荷物小荷物」で、長男に頭が上がらないが下の兄弟には威張る、次男・滝沢義役をコミカルに演じ、新境地を開拓されたのでした。

「浜田光夫のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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