70代の現在も、現役で活動されている、木の実ナナ(きのみ なな)さんですが、40歳半ばの頃には、「更年期障害」で、いつもイライラし、自殺まで考えるようになっていたといいます。
「木の実ナナのデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
体調が変化しいつもイライラするように
木の実さんは、40代半ばくらいの時、それまで好きだったコーヒーがおいしく感じられなくなったほか、花や景色を見てもきれいに思えなくなり、
あれ? なんか変だな
と、体調の変化を感じるようになったそうで、
もともと、他人がしょぼんとしていると、「どうしたの、元気出して」と声をかけずにはいられないほど、自分も含め、みんなが笑顔でいなければ嫌な、明るい性格だったのが、
幼い頃、外国人みたいだとイジメられて、同級生に傘で顔を傷つけられたことなど、忘れたはずの嫌なことを次々と思い出すようになっては、それが頭から離れなくなってしまい、さらには、大好きでコレクションをしていたミッキーマウスのぬいぐるみまで、
いい大人がなんでこんなもん持っているんだろう
と、自分を卑下してしまうようになったそうです。
また、
なんであのバス、ここを走っているんだ
と、走っているバスを見ただけでもイライラし、いつもイライラしている状態が続くようになってしまったそうです。
「自律神経失調症」と診断される
そして、さらには、動悸やのぼせで、汗びっしょりになるといった、身体的な症状まで表れたことから、訳が分からなくなって、病院に行ったところ、「自律神経失調症」と診断されたそうで、
その後、病院で処方された薬を飲むようになったのですが、今度は、薬の副作用で食欲を失い、大好きだったお酒も飲めなくなったことから、すべてが嫌になってしまったそうです。
それでも、職場では、作り笑いで頑張っていたことで、余計にストレスがたまり、トイレで叫んだり、壁を叩いて発散されていたのだそうです。
「更年期障害」と診断されるも現在は回復
また、49歳の時には、仕事で大阪のホテルに一人でいたところ、突然、頭がグワーッとし、気がつくと、
ああ~! もういやだ! 死にたい!
と、ガラス窓に頭をガンガンとぶつけていたそうで、
その時、自分の「死にたい」と言った言葉に、
死んじゃったら、家族、誰が食べさせるの?
と、ハッとし、死ぬことを思いとどまったそうです。
そんな中、ファンの中に、心療内科のお医者さんがいて、木の実さんの変化に気付き、コンタクトを取ってくれたそうで、木の実さんは、ワラをもすがる気持ちで相談すると、
そのお医者さんとそのお母さん(お母さんも医師)が、わざわざ滞在先のホテルまで訪ねてきてくれて、木の実さんが泣きながら話すのを聞いてくれ、
ナナちゃん、それ更年期やわ、うつや。でも、何にも心配あらへんで。いいお薬調合してあげる。それのんだら、またいいナナちゃんに戻れるから。
と、優しく言ってくれたそうで、それで、木の実さんは、随分楽になったのだそうです。
ちなみに、木の実さんは、
今までずーっと元気なナナでやってきたけど、女としてスイッチの切り替え時期だったのかな、と。治るまでに時間がかかったけれど、だからこそ余計に、あの経験が女の幅を広げてくれたと思います。貴重な経験でした。
と、現在は回復されていることを明かされているのですが、それ以来、「笑顔でいなさい」と言っていたお母さんの言葉をいつも心に留めているそうで、
辛いときこそ笑っちゃえ、という気持ちでいます。表情に気持ちが引っ張られると思うから、演技でついちゃった眉間に入った縦じわもしょっちゅう伸ばしてますよ(笑)
人生には山がいくつもあって、常にそれを越えていかなきゃならないものだと思っています。越えて越えて、越えて(笑)。楽なときはない。越えたらその都度合格のハンコがもらえて、でもその楽しさがあるから素晴らしい人生だと思える。
と、語っておられました。
2000年の新聞広告より。
左大腿骨を骨折し車椅子で舞台に出演していた
そんな木の実さんですが、2015年10月24日、沖縄で上演された舞台「南阿佐ヶ谷の母」の公演終了後、ホテルでつまづいて転倒し、左大腿骨を骨折。
東京に戻って手術を受けられると、無事、手術は成功するも、歩けるようになるまでは、リハビリを含め、約1ヶ月かかるとのことで、車椅子生活を余儀なくされていたそうです。
それでも、当時、所属事務所は、
舞台も車いすで出演できるように変更していただいたので、スタッフさんや共演者の方々のおかげで継続できています
と、コメントしており、
木の実さんは、そのまま、舞台は降板せず車椅子で出演されたそうです。
ただ、その後、木の実さんは、テレビ番組やイベントなどに、車椅子なしで復帰されていますので、ほっと一安心ですね。