1980年、テレビドラマデビュー作「続・続 事件 月の景色」で、いきなり、主演に抜擢された、佐藤浩市(さとう こういち)さんは、翌年の映画デビュー作でも主演に起用されているのですが、調子に乗り(なめ)すぎて、深作欣二監督を激怒させたこともあったようです。
「佐藤浩市はデビュー作品の撮影中トイレに1時間もこもっていた!」からの続き
主演デビュー作「青春の門」がヒット
NHKドラマ「続・続 事件 月の景色」の主演で俳優デビューを飾るも、撮影現場では共演者の若山富三郎さんに厳しい演技指導を受け、
このまま役者を続けるのは、どうしようか・・・
と、佐藤さんは悩んだそうですが、
かといって、うまくいかないまま学校に戻ることは、自分自身納得できず、役者を続けることを決意すると、翌年の1981年には、「青春の門」(蔵原惟繕(これよし)・深作欣二監督)の主役・伊吹信介役に抜擢され、映画デビュー。すると、映画はヒットを記録し、翌年の1982年、続編「自立篇」が制作されると、これにも出演し、佐藤さんは一躍人気を博します。
「青春の門」より。佐藤浩市さんと桃井かおりさん。
劇場で自身の映画のラストシーンを見て俳優として生きる決意
ちなみに、佐藤さんは、東京・銀座の劇場で、自身が演じる伊吹信介が、母親の遺骨をかじってバイクで走り去るというラストシーンを見て、
俳優として生きていこう
と、決意を新たにされたのだそうです。
(佐藤さんは、この映画で「ブルーリボン賞新人賞」を受賞されています)
なめすぎて再び若山富三郎から厳しい演技指導を受けていた
ところで、佐藤さんの記念すべき映画デビュー作となった、この「青春の門」でも、相手役は若山富三郎さんだったそうですが、
佐藤さんは、撮影現場で、自分が出る前のシーンの若山さんの芝居を見ておらず、自分の出番になって、ノコノコ出ていったそうで、
若山さんから、
お前、俺の芝居を見てたか
と、聞かれると、
この時も、
見てません
と、正直に答えたそうで、
若山さんには、激怒され、
バカ野郎!
と、怒鳴り散らされたそうですが、
後に、佐藤さんは、
自分が出る前のカットを見るということも知らない僕に、若山さんは「呼んで来い」と言わずに、あえて現場で怒ることで教えたかったんだと思います
と、語っておられました。
映画「道頓堀川」では深作欣二監督を激怒させていた
そんな佐藤さんは、1982年には、深作欣二監督作品「道頓堀川」に出演されているのですが、山崎努さんとビリヤードで対決する場面で、崩れ落ちるというシーンがあったため、両足で崩れると、
深作監督から、
浩市くん、片足だけで崩れてくれ
と、言われたそうで、
何でですか
と、聞くと、
かっこ悪いんや。片足だけ立ててくれ
と、言われたそうです。
しかし、なんと、佐藤さんは、
できません。おれの気持ちはこっちなんです
と、反論したそうで、
深作監督からは、
わしが監督じゃーっ!
と、怒鳴られたそうです(笑)
(この時、まだ21歳だった佐藤さんは、幼い頃から、父親・三國連太郎さんの撮影現場を見ていたせいで、俳優はそうやって主張するものだと思い込み、とんだ勘違いをしていたとのことでした)
「佐藤浩市は昔「魚影の群れ」でNGを連発し過ぎて撮影を中止されていた!」に続く
「道頓堀川」より。佐藤さん(左)と真田広之さん(右)。