若い頃は、「東映」で、男性スターの相手役を数多く務められた、佐久間良子(さくま よしこ)さんですが、今回は、そんな佐久間さんと、相手役だった、三國連太郎さん、鶴田浩二さんとのエピソードを佐久間さんご本人のコメントを交えながらご紹介します。
「佐久間良子の若い頃は成人映画の主演もしていた!」からの続き
三國連太郎の怪演に思わず悲鳴を上げる
佐久間さんは、1964年、映画「越後つついし親不知」で、三國連太郎さんと共演されているのですが、三國さんが農家の若妻を演じる佐久間さんに襲いかかるシーンでは、三國さんは役にのめり込むあまり、本当に行為に及ぼうとしたそうで、
後に、佐久間さんは、そのシーンの撮影について、
タラタラタラタラ〜ってよだれを垂らされるわけ。もう嫌だ〜!って
と、思わず悲鳴を上げたことを明かされています。
この話は、三國さんの武勇伝として語り継がれているのですが、佐久間さんにとっては、ただただ迷惑な話・・・お気の毒でした。
「越後つついし親不知」より。三國連太郎さんと佐久間さん。
三國連太郎からもらった手紙の内容とは?
ちなみに、佐久間さんは、三國さんとは、他の映画で恋人役を演じられたことがあったそうですが、
その際、三國さんからは、
ぼく以外の人と口をきかないでください
と、書かれた手紙をもらったそうで、
撮影以外でも役にのめり込む役者魂と、絶賛(フォロー?)されていました。
鶴田浩二と不倫関係だった
そんな佐久間さんは、2012年2月、日本経済新聞の「私の履歴書」で、1963年、22歳の時、俳優の鶴田浩二さんと不倫関係にあったことを明かされています。
お二人は、1960年、映画「砂漠を渡る太陽」で初共演されているのですが(この作品は、鶴田さんの「東映」入社後、第一作目だったそうです)、
佐久間さんによると、
陰りのある甘い表情で絶大な人気を博した鶴田浩二さん。初めてお会いしたのは東映の東京撮影所の所長室だった。「あこがれのあの大物俳優に会える」。そう思っただけで、私はひどく緊張していた。
「怖い……」というのが初対面の印象だった。顔は端正だが、目線に背中がゾクッとするようなすごみがある。そんな流し目で凝視されると、蛇ににらまれたカエルのようにおびえるしかなかった。
と、鶴田さんに憧れるも、当初、鶴田さんはとても近寄りがたい存在だったそうです。
それでも、その後、
「地獄に真紅な花が咲く」(1961)
「黄色い風土」(1961)
「湖畔の人」(1961)
「人生劇場 飛車角」(1963)
「黄色い風土」より。佐久間さんと鶴田浩二さん。
と、立て続けに鶴田さんの相手役を務られたことで、映画「人生劇場 飛車角」あたりから次第に打ち解け、実生活でも交際するようになったそうです。
ただ、鶴田さんは14歳も年上なうえ、妻子もいたことから、不倫関係。
佐久間さんによると、
その後も「次郎長三国志」シリーズなどで共演しましたが、当時は今の「週刊文春」みたいにマスコミも騒ぐようなことを言わなかったから、みなさん見守ってくれました
私は「不倫」という言葉は好きではない。だが2人はもはや誰も止めることができない「灼熱(しゃくねつ)の恋」に駆り立てられていた
と、鶴田さんとの恋は順調だったようですが、
恋愛関係はその後、数年続く。私の若い恋心は、湖に浮かぶ木の葉のように激しく揺れ動いていた
と、鶴田さんとは数年で破局されたそうです。
「佐久間良子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く
「竜虎一代」より。佐久間さんと鶴田浩二さん。