有名人の両親とセットで見られることに嫌気が差し、高校の時、単身アメリカに留学し、大学まで卒業するも、当初の目的だった医療への道に情熱を感じられなくなり、サラリーマンとして働きはじめた、平岳大(ひら たけひろ)さんでしたが、回り回って、ついに、お父さんの舞台を観て、役者をやってみたいと思うようになります。
「平岳大の若い頃は不動産投資会社のサラリーマンだった!」からの続き
自分の将来を真剣に考え始める
お母さんの佐久間良子さんに、医者になると言って、アメリカ留学し、大学まで卒業するも、医療への道に情熱を感じられなくなり、日本に帰国して、サラリーマン(不動産アナリストとネットビジネス)となっていた平さんですが、やがて、
どちらも面白くて充実していたけれど、どこか仮の姿で、何か違うなという思いが常にありました
と、空虚感を抱くようになっていったそうで、
その時、すでに27歳になっていたことから、
人生をちゃんと始めないとヤバいことになるな
と、焦る気持ちが高まる中、自分は何をやりたいのか、真剣に考え始めたそうです。
父親・平幹二朗の舞台「近松心中物語」を観て役者になる決意をする
そんな中、お父さんの平幹二朗さんの舞台「近松心中物語」を観劇すると、
これだ!
と、感じ、
役者をやってみたい、やれずには死ねないな
と、両親と同じ、役者になろうと思ったそうで、
両親が俳優なので、すんなりと俳優になるのは悔しいというか恥ずかしいという思いがあり、自らその道を封印してきました。
でもほかの仕事を経験し、精神的にも経済的にも自立したうえで素直に考えてみると、やはり自分は俳優になりたいのだと思い至ったのです
と、後に平さんは明かされています。
父親・平幹二朗に役者になりたいと相談
こうして、役者になろうと決意した平さんは、勤めていた会社にはすぐ辞表を出したそうですが、
子どもの頃、お母さんの佐久間良子さんに、冗談で、
役者になりたい
と、言ったところ、
絶対ダメ
と、猛反対されたことがあったため、まずは、お父さんの平幹二朗さんに相談することにしたそうです。
すると、お父さんも当初は反対されたそうですが、
まあ、オヤジは一緒に生活していないから、いわば僕は遠くで育ってきた息子です。その子どもが“役者やる”と言いだしたら、最初は反対していても、ひとりの男として好きなことを仕事にしたほうがいいという考えだったのか、“じゃあ、やってみなさい”と言われました。
父親としての言い方というよりは、“相談乗るよ”くらいの感じでしたけどね。ただ、後から聞いたら、オヤジはうれしかったみたいです。僕も両親がいなかったら役者にはなってなかったでしょうね
と、最終的には、応援してくれたそうです。
ちなみに、平幹二朗さんはというと、息子から相談を受けた時のことを、後に、親子対談で、
前に僕が演出した「四谷怪談」の現場に連れてったね。衣装合わせを見ていて、あ、興味ありそうだなという感じは受けた。だけど、母親が絶対俳優になるなと反対で、それに従おうとするなら、情熱がそこまでないんだと思っていた。
でも、もう27歳の社会人が考え直し、俳優になりたいと言うからには、その欲求は本物だろう、親としてどうにかしなきゃと思った。同時に、ちょっと嬉しい気もしたね
と、明かされています。
「平岳大のデビュー舞台「鹿鳴館」では佐久間良子が激怒していた!」に続く