大学在学中の1978年に「文学座」に研究生として入ると、その後、テレビドラマや映画に立て続けに出演し、1981年には映画「北斎漫画」でいきなり数々の賞を受賞された、田中裕子(たなか ゆうこ)さんですが、実は、「文学座」の研究生時代から、すでに、その片鱗が垣間見られていたそうです。
「田中裕子は若い頃から日本アカデミー賞受賞など演技力が高かった!」に続く
超難関の「文学座」正式劇団員に残っていた
田中さんは、大学在学中の1978年に、研究生として「文学座」に入団されているのですが、「文学座」は、2年間の研究生を終えた後、テストで合格しなければ、「文学座」に残れなかったそうで、
このテスト、2000名ほど(研究生)が受験し、まず60~70名に絞り込まれると、そこからさらに7~8人に絞り込まれたそうですが、それでもまだ正式な劇団員ではなく(準劇団員)、
そこから、また2年間、舞台やテレビに出演して修業を積み、さらに絞り込まれて、さらに2年間の修業を積み・・・といった感じでふるいにかけられ、最終的には、5年間生き残った人だけが正式な劇団員になれるという、とても厳しい世界だったそうですが、田中さんは、その狭き門を見事クリアされたのだそうです。
「文学座」でもずば抜けた演技力を発揮していた
ちなみに、田中さんと「文学座」で同期だった俳優の並樹史朗さんは、
僕は同期と言っても夜間でしたから、当初は裕子さんとそこまで話してないんですよ。ただ、「昼間に凄い女優がいる」って話は聞いてました。
裕子さんは「おしん」に出る前から朝ドラ「マー姉ちゃん」(’79年)に出演、さらに「おしん」が放送される前年にも「ええじゃないか」と「北斎漫画」で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞した、文学座の期待の星でした。
そんな裕子さんが一度、夜間の俳優たちに演技を見せてくれる機会があったのですが、もう全然レベルが違ったのを覚えています。
と、語っておられ、田中さんは、この時すでに、ずば抜けた演技の才能を発揮されていたようです。
(当時、芸能事務所は今ほど多くなく、NHK朝の連続ドラマの重要な役には、「文学座」出身の俳優など舞台俳優が起用されることが多かったそうですが、その「文学座」内で全然レベルが違うと言われていた田中さんの凄さが分かります)
NHK連続テレビ小説「おしん」で大ブレイク
そんな田中さんは、1983年、山形の貧しい小作農の家に生まれたおしんが、苦労を重ねながら、明治、大正、昭和の激動の時代をたくましく生き抜く姿を描いた、NHK連続テレビ小説「おしん」で、主人公・おしん(青春・成年期)に抜擢されているのですが、
このドラマは、平均視聴率52.6%、最高視聴率は62.9%という、日本ドラマ史上、最高視聴率を記録する大ヒット。
その後、このドラマは、アジアやイスラム圏を中心に海外でも放送され、田中さんは、一躍、海外でも有名な女優となられたのでした。
「田中裕子は昔「おしん」で橋田壽賀子の脚本に苦しんでいた!」に続く
「おしん」より。泉ピン子さん(左)と田中さん(右)。