80代間近となった現在も、テレビドラマへの出演はもちろんのこと、タレントとしてバラエティ番組にも出演されるなど、現役バリバリで活動されている、中尾彬(なかお あきら)さんですが、65歳の時には、生死をさまよわれたといいます。
「中尾彬の息子は元俳優の中尾学!」からの続き
倒れていた
中尾さんは、2007年3月、寒気を感じたため、風邪だろうと市販の風邪薬を飲み、京都へ旅番組のロケに出かける際には、奥さんの池波志乃さんから、「風邪なんだから気を付けてね」と東京の自宅を送り出されたそうで、
ロケ終了後の3月30日には、別のレギュラー番組で生放送の「知っとこ!」に出演するため、京都から大阪に移動し、大阪のホテルに滞在。
その日の夜は、体調を考えて早く寝たそうですが・・・
翌朝6時15分、マネージャーからモーニングコールが鳴ったため、ベッドのすぐ脇にあった電話に手を伸ばすも、体が動かず、もがくうちに床に落ちてしまったそうで、這って受話器を取るも、そこで力尽きてしまったそうです。
(京都に来てからの3日間の記憶が全くなく、後にスタッフにも「真っすぐ歩けていなかった」と言われたそうです)
急性肺炎だった
その後、中尾さんは、救急車で大阪市内の病院に搬送されると、肺炎球菌による「急性肺炎」と診断されたそうですが、
(「肺炎球菌」は、健康な人の鼻からも検出される菌だそうですが、高齢で免疫力が落ちると、肺炎を引き起こし、重症化させることがあるそうです)
救急車で搬送された際には、救急車の中が一瞬見えただけで、その後、意識がなくなり、次に気付いた時には病院の集中治療室のベッドの上で、東京にいるはずの池波さんが心配そうにのぞき込んでいたのだそうです。
楽観的だった
それでも、中尾さんは、
何が起こったのか、さっぱりわからない。それでも、2、3日寝てりゃ治るだろと軽く考えていました
と、あくまで楽観的だったそうですが、
40度の熱に加え、右肺に肺炎の影、体中の筋肉に障害、横紋筋融解症、急性腎不全、強い肝機能障害、不整脈などが一気に併発。
集中治療室に入って数日後には、天井近くに白いどんぶりが浮かび、その中にスパゲティがスルスルと入っていく幻覚を見たことから、
すごいね、志乃。見てごらん。スパゲティをあんな風に映像化して。さすがフランスの映像作家だ
と、池波さんに語りかけたそうで、
うつろな目で訳の分からないことを言う夫の姿に、池波さんは背筋が凍り、中尾さんの死を覚悟されたといいます。
(池波さんによると、医師には、助かる可能性は20%と言われていたそうです)
ちなみに、中尾さんの感覚では、「肺炎」でありながら、せきも出ず、それほど苦しさを感じなかったことから、妻の心配をよそに、終始、楽観的に過ごせたそうで、
後で危なかったと聞いて驚いたぐらい。逆に怖いですよ。本人は自覚のないまま、悪くなるんですから
と、語っておられました。
10日で集中治療室から一般病棟~1ヶ月で退院
ともあれ、抗生物質の投与や人工透析、血漿(けっしょう)交換など、あらゆる集中治療が功を奏し、徐々に回復。入院10日目には集中治療室を出て、一般病棟に移ったそうですが、
筋肉が痛み、5メートルも歩けなかったため、体力の回復を待って、手足を動かすリハビリを始めたほか、持ち味であるテノールの声もかすれて出なかったため、病室内で大声で歌い、発声訓練も繰り返したそうで、
その後、大阪から東京の病院に転院し、最初の入院から1ヶ月半経って、ようやく退院されたのだそうです。
退院後は「禁煙」「早寝早起き」「散歩」
そんな中尾さんは、退院後、自然とタバコはやめたそうですが、日常生活の大事さに気づき、夜10時に寝て、朝5時半に起き、散歩を日課とする生活を心がけるようになったそうで、
病気をする前には気にしていなかった、道端の花や空の色に目が留まるようになり、
芝居も、これまでは表現することにこだわっていたのが、日常生活の目線で自然にやればいいと思うようになりました
と、おっしゃっていました。
現在は肺炎予防推進プロジェクトなど啓発イベントに参加
また、中尾さんは、「肺炎」の発症や重症化を予防する肺炎球菌ワクチンというものがあることを知り、退院直後、夫婦でこのワクチンを受けたそうですが、このことをきっかけに、肺炎予防推進プロジェクトの大使となり、啓発イベントで体験を話すようになったそうで、
肺炎を軽く考えるなと、体験者だからこそ説得力を持って言える。我々の年齢層は、残された時間が貴重なんですから、真剣に予防を考えてほしいですね
と、おっしゃっていました。
「中尾彬が言う「挨拶しない3人」とは?広末涼子にも激怒していた?」に続く