元宝塚歌劇団花組のトップスターで、現在は女優として活躍されている、真矢みき(まや みき)さん。そんな真矢さんのルーツである、両親と祖父母について調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?学歴は?

真矢さんは、1964年1月31日生まれ、
広島市西区南観音町生まれ(大阪府豊中市育ち)、


赤ちゃんの頃の真矢さん。

身長166センチ、

血液型はO型、

本名は、
西島美季(旧姓・佐藤)、

学歴は、
豊中市立第二中学校
⇒宝塚音楽学校卒業
「高等学校卒業程度認定試験」(旧大学入学資格検定)合格

(現在、「宝塚音楽学校」は、単位制の「向陽台高校」と連携しているため、高校卒業のためのプログラムを習得すると、高校卒業資格を取得することができるのですが、真矢さんの頃にはそのようなシステムはなく、真矢さんは中卒扱いでしたが、2017年9月、53歳の時に、「高等学校卒業程度認定試験」を5教科受験し、すべて合格されています)

趣味は、旅行、絵、

特技は、歌、ダンス、日舞、バトン、作詞、

ちなみに、兄弟は、3歳年上のお兄さんが一人いらっしゃるそうで、大阪府豊中市で暮らされていた時、お兄さんとUFOを見たことがあるそうです。

祖父母

まずは、真矢さんのお話の前に、今では想像できない時代背景のため、真矢さんのご両親のお話から。

真矢さんの父方のおじいさん・佐藤宇吉さんは、山形県庄内町廻舘というところにある呉服屋の息子として生まれると、当時、まだ珍しかった、カメラやバイオリンなど新しいものが好きなお坊ちゃんとして、裕福な家庭で何不自由なく育ちます。

そして、成長した宇吉さんは、19歳の時、隣村のきよしさん(真矢さんのおばあさん)と結婚されるのですが、華やかで派手好きだったため、豪遊を繰り返したそうです。


赤ちゃんが(真矢さんのお父さんの)隆二さん。両側が(おじいさんの)宇吉さんと(おばあさんの)きよしさん。

その後、宇吉さんは、1927年(昭和2年)には、低価格運賃を売りにしたバス会社を設立するのですが、生来の放蕩癖に加え、1929年(昭和4年)の「昭和恐慌」「東北冷害」の影響で経営が傾くと、

1934年(昭和9年)には、息子の隆二さん(後に真矢さんのお父さん)が4歳の時、宇吉さんの方からきよしさんに離婚を言い渡したのでした。


宇吉さんが設立したバス会社

両親

離婚後は、きよしさんは、女手一つで隆二さんを育てると、隆二さんが15歳の時には、湯野浜温泉でカフェを開いていた、娘の幸子さん(隆二さんの姉)のもとに隆二さんを伴って訪ね、そのカフェで働いて、生計をたてるようになり、隆二さんも、そのカフェに客として来ていた、進駐軍の兵士を相手に英語を覚えたそうで、

その後、お姉さんが横浜に料理店を出すことになると、きよしさんと隆二さんもついていき、横浜で暮らし始めます。


左が湯野浜温泉、右が幸子さん。

そして、隆二さんは、進駐軍のPX(軍隊内で飲食物、日用品などを売る店のこと)でアルバイトをして学費を稼ぎ、大学に進学されると、いつ頃かは不明ですが、買い物先の店で野本雪子さん(真矢さんのお母さん)に出会われ、交際に発展。

(野本家は工務店を営んでおり、鉄筋コンクリートを専門に工事を行っていたそうで、横浜の根岸競馬場や、満洲(中国)・遼寧省本渓の「阜新炭鉱」の立て坑の工事をしていたそうです)

隆二さんは、大学卒業後、得意の英語を活かして、アメリカ資本の台湾の航空会社「シビル・エア・トランスポート」に就職されると、(定職についたため)雪子さんと結婚されたのでした。


家系図

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父は航空会社の取締役

その後、隆二さんは、「自分を捨てた父を見返したい」と宇吉さんへの憎しみをバネに、「KLMオランダ航空」に転職。さらには、設立したばかりの「東亜航空」と、航空会社を渡り歩き、最終的には「日本エアシステム」の取締役にまでなられているのですが、

真矢さんは、そんなお父さんのことを、

私が幼い頃から、玄関に座って靴を履いている時の広い背中の印象が強い父は、大変仕事のできる多忙な人。更にちょっとしたハンサムで、私の自慢の父だった。

付き合いもよく、知人友人の多い人だった。空港に行くと私は、そんな父の親友、親戚のおじちゃんみたいな大人達に、よく可愛がられたものだった。

日曜だけは、父を独占して、あぐらで新聞を読む父の脚の中にすっぽりとハマって座った。私の特等席なのだ。

また父と私は一卵性双生児のように顔も性格もよく似ていた。互いに社交的で楽しい事が大好きだった。「大きくなったらパパが赤いハイヒールを買ってあげるね」。父は私を女の子らしく育てたかったようだ。

と、語っておられました。

(ちなみに、宇吉さん(おじいさん)が1972年に他界された際には、隆二さんは葬儀に駆けつけたそうですが、宇吉さんは、家族と別れた後は、小さなあばら家で暮らしていたそうです)

「真矢ミキは宝塚歌劇団入団当初は劣等生で退団を考えていた!」に続く

若かりし頃の真矢さんのご両親。

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