近年は、芸能界きってのおしどり夫婦として、夫の中尾彬さんとともにバラエティ番組に数多く出演されている、池波志乃(いけなみ しの)さん。今回は、そんな池波さんと中尾さんの馴れ初めなどについてご紹介します。
「池波志乃のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
夫は中尾彬
池波さんは、デビューから3年後の1978年3月、22歳の時、俳優の中尾彬さん(当時35歳)と結婚されています。
お二人は、1977年、時代劇「達磨大助事件帳」での共演で知り合うと、中尾さんがロケの待ち時間に、当時、入手困難だった銘酒、「越乃寒梅」を飲んだことがあると周囲に自慢していたため、
お酒好きだった池波さんは、
私はいつでも越乃寒梅が飲めるお店知ってるわよ
と言って、台本の裏にそのお酒が飲める店の地図を書き、さらに自宅の電話番号も添えて、中尾さんに渡したそうです。
友人の芸者に中尾彬の品定めを頼んでいた
こうして、お二人は、東京・四谷にある、そのお店に一緒に飲みに行くと、お互い、お酒好きという共通点があったことから、すぐに意気投合。
2軒目は、池波さんが神田明神下のお座敷に中尾さんを誘い、そこで芸者遊びをしたそうですが、実は、このお座敷には、池波さんの友人の芸者が何人かおり、当時、中尾さんはプレイボーイで有名だったため(週刊誌にもさんざん書かれていたそうです)、池波さんは男を見る目のある友人の芸者に中尾さんの品定めを頼まれていたそうで、
その結果、「言われてるほどチャラくないんじゃない」と言われ、「絶対やめなさい」と言う芸者が一人もいなかったことから、晴れて交際をスタート。
すると、次(2回目)のデートでは、早くも中尾さんからプロポーズされたそうで、なんと、出会ってわずか3ヶ月のスピード婚となったのでした。
父親の弟子たちからはすぐ離婚すると思われていた
ちなみに、中尾さんが初めて池波さんの実家に挨拶に行った時には、中尾さんは、まだ、女優の茅島成美さんと婚姻関係にあり、離婚の話し合いをされていた時だったそうですが、
その後、茅島さんとの離婚が成立し、再び、池波さんの実家を訪ねると、
志乃さんをいただきます
と、挨拶されたそうで、
池波さんのお父さんの、落語家10代目金原亭馬生さんは、一瞬黙った後で、
いただきますというのは、ご飯のときだけでいいんだよ
と、落語家らしい言い回しで、結婚を許してくれたそうです。
また、お父さんのお弟子さんたちは、二人の結婚生活がいつまで持つか賭けをしようとするも、誰もが持って3ヶ月だろうと、賭けにならなかったほど、すぐ離婚するだろうと思っていたそうですが、
ご存知の通り、結婚から40年以上経った現在もお二人の仲はとても良好で、芸能界きってのおしどり夫婦として、バラエティ番組で仲睦まじい姿を見せられています。
料理はプロ級の腕前
そんな池波さん・中尾さんご夫婦ですが、中尾さんは超亭主関白だそうで、中尾さんが朝起きたその時の気分で朝食を和食か洋食かを決め、池波さんがそれに従って料理を作られているのだとか。
また、中尾さんは食の好みがはっきりしていることから、1日3回の食事は、「命懸けで作ってくれ」とお願いされているそうで、池波さんは、そんな中尾さんのため、毎回手の込んだ料理を作り、夕食には、自ら「お品書き」を書き、料亭のように1品づつ出しているそうで、
その手料理をお酒のおつまみに、二人で2時間くらい語り合いながら、夕食の時間を過ごされているのだそうです♪
(中尾さんは、「食日記」をつけており、池波さんの手料理を細かく記録しているそうです)
夫婦円満の秘訣は?
ちなみに、池波さんは、料理のほかにも、
- 妻は夫より早起きし、寝顔は絶対に見せない
- 夕食には手書きのお品書きを用意(「お品書き」については、10品目の中から、食べたいもの4品目ほどを中尾さんが選ぶ)
- 妻は夫の財布の中身をチェックして常に補充する
- テレビのチャンネルは妻が変える
というルールを自ら決められているほか、中尾さんが怒るところを見るのが嫌なため、「でも」「だって」と口答えはしないそうです。
とはいえ、ひたすら我慢しているというのではなく、ほとぼりが冷め、中尾さんが機嫌の良い時には、笑いながら反撃するそうで、
池波さんは、
子供を育てることができなかったが、夫・中尾彬を育てることができた。
と、語っており、夫婦円満の秘訣は、池波さんの腕によるところが大きいようです♪
「池波志乃は10年も歯の激痛に耐えていた!その病気とは?」に続く