友人に会いに行ったホテルの帰り、見ず知らずの他人のドンチャン騒ぎに乱入し、最初は驚かれるも、すぐにその場を爆笑の渦に巻き込んだという、タモリさんですが、実はこの出来事がタモリさんの将来を大きく変えることになります。
「タモリは見知らぬ他人の部屋のドンチャン騒ぎに乱入していた!」からの続き
タモリはドンチャン騒ぎに乱入した部屋にいた山下洋輔に探され再会していた
ホテルで見ず知らずの他人の部屋のドンチャン騒ぎに乱入し、散々その場を爆笑の渦に巻き込みながら、素性はもちろん、何の連絡先の交換もせず、「モリタ」とだけ名乗って、その場を去ったというタモリさんですが、
その半年後、タモリさんは、その乱入した部屋にいた3人のうちの1人の山下洋輔さんに再会したといいます。
実は、山下さんは、ずっとタモリさんを探していたそうで、博多の一番古いジャズ喫茶「COMBO」なら、「博多にいるジャズ好きのモリタという男」のことが分かるのではと思い、「COMBO」に行ったそうで、
タモリさんはこの「COMBO」の常連客だったことから、オーナーの有田平八郎さんがその場でタモリさんに電話し、再会となったのでした。
(この話にはもう一説あり、当時タモリさんは喫茶店でマスターをしており、山下さんが博多のジャズ喫茶を片っ端に探したところ、とあるジャス喫茶の「喫茶店の変人マスターでは」という情報から、タモリさんを探し当てたとも言われています。)
タモリは「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」のカンパにより東京に招待されていた
また、山下さんは、行きつけだった新宿ゴールデン街のバー「ジャックの豆の木」で、ことあるごとにタモリさんの話をしていたそうですが、そのため、
山下さんがそんなに面白いというのなら一度見てみたい
と、タモリさんを上京させる機運が高まっていったそうで、
バーのママ・柏原A子さん(匿名ではなく通称)の発案で、例のドンチャン騒ぎのメンバーである、山下さん、中村誠一さん、森山威男さんをはじめ、赤塚不二夫さん、坂田明さん、筒井康隆さん、三上寛さん、長谷川法世さん、奥成達さん、高信太郎さん、長谷邦夫さん、南伸坊さんら常連客により、なんと、「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成されたのだそうです。
そして、1975年3月、中村さんから上京の誘いの電話を受けたタモリさんは、同年6月、「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」のカンパ(帽子を回してお金を集めたそうです)で購入された東京行きの新幹線チケットを受け取り、ついに上京したのでした。
(タモリさんが上京するのは、早稲田大学を除籍になって以来、実に7年ぶりだったそうです)
タモリは上京後は知人の家を転々としていた
こうして、山下さんらの熱い要望に応えて上京したタモリさんは、当初、中村さんの2DKの都営住宅に居候していたそうですが、
タモリさんによると、
でも1週間くらいしかいなかった。というのは僕の母が電話をかけてきて、たまたま彼(中村さん)が取っちゃった。ウチの母親は潔癖症なもので、見知らぬ男がいることを許さなかったんだ
と、お母さんの反対に遭い、その後、知人の家を転々となったそうです。
タモリは上京後は即興芸で常連客を熱狂させていた
そんな中、タモリさんは、「ジャックの豆の木」で開かれた独演会で、常連客を前に、アントニオ猪木さんや松田優作さんのモノマネ、「ニセ外国語」、NHK教育テレビのパロディ「陶器の変遷」「音楽の変遷」、
さらには、
「4か国語麻雀」
「中国で作られたターザン映画に出演した大河内伝次郎の宇宙飛行士が、宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」
「アメリカの宇宙飛行士と中国の宇宙飛行士の絡み合い」
「国連Aセット」(台湾国連脱退をめぐる韓国、台湾、中国の演説。B、Cセットもあり)
「強要特別番組・李参平と白磁の由来」
「明日の農作業の時間」
「松正丸事件の真相」
「肥前ナイロビ・ケニヤ線乗換え」
など、リクエストを含めた様々な即興芸を披露すると、
臨席していた作家の筒井康隆さんや劇作家の唐十郎さんは度肝を抜かれたそうで、タモリさんは一晩中、その場を爆笑の渦に巻き込んだのでした。
(ちなみに、タモリさんの即興芸は、ストリップで始まり、全裸で踊り狂ってフィニッシュを迎える、という流れになっていたそうで、後に、詩人の奥成達さんは、この即興芸を「恐怖の密室芸」と呼んだそうです(笑))
「タモリは赤塚不二夫の高級マンションで贅沢三昧の一人暮らしをしていた!」に続く
(左から)山下洋輔さん、中村誠一さん、筒井康隆さん、坂田明さん、タモリさん。