酷い形とはいえ、自身の言動が発端でNHKの仕事を降ろされ、一人札幌で悲しみに浸っているところ、幸運なことに、フジテレビ社長らがわざわざ居場所を探してまでオファーを届けてくれ、脚本家として再スタートできた、倉本聰(くらもと そう)さんですが、またしても、自ら、札幌(便利な都会)から富良野(過疎地)に引っ越すという苦難の道を歩まれます。

「倉本聰は「勝海舟」降板後はトラックの運転手になろうとしていた!」からの続き

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便利な札幌からわざわざ富良野に移住

周囲の助けで、幸運にも脚本家として再スタートできた倉本さんですが、1977年秋には、便利な札幌から、わざわざ、山深い富良野の森に家を建てられます。

倉本さんによると、四季の激しいところに住みたかったことから、夏は35度、冬はマイナス35度という富良野に移住を決めたそうですが・・・

富良野で迎えた最初の夜は、工事の手違いで電気がつかず、シュラフ(寝袋)に潜り込んで、一人恐怖に震えながら寝たそうで、

後に、倉本さんは、

最初は熊とか現実的なものの怖さ。それが、時間がたつにつれ、何か霊的なものの怖さに変わりましたね。自然の中でいちばん怖いのは“闇”なんですよ。

真の闇の中にいると、自分の手も見えないから、船酔いみたいになります。早く太陽が上がってくれと震えていると、小鳥の声が聞こえて白んできた。初めて太陽のありがたさに気がつきました

と、明かされています。

冬にはウツで死にたくなっていた

また、冬になると、ひどいウツに陥(おちい)り、何もする気が起きず、死にたくなったそうで、ジープの中で寝れば死ねると思い、マイナス30度の中、フラフラと外に出て行ったこともあったそうです。

すると、異変を感じ取ったのか、熊狩りに使う飼い犬「ヤマグチ」が飛んできて、服の裾を引っ張って引き戻してくれたそうで、その瞬間、ふと、我に返ったそうですが、

今では、

医者に行くと、“毎年冬になるとウツが出ますよ”なんて言われましたが、僕の場合、たぶん、あまりのカルチャーショックが原因じゃないかなと思っているんです。いまでは、冬になると落ち着きますから

と、語っておられ、すっかり、富良野の冬に馴染まれているようです。


当時の倉本さんと愛犬・ヤマグチ。

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現在は富良野での生活がお気に入り

というのも、まもなく、東京で暮らしていた奥さんが一緒に富良野で暮らし始め、地元に知り合いも増えたそうなので、家族や仲間との絆がそうさせたのでしょう。

そして、その後、厳しい自然を、知識に頼るのではなく、知恵で乗り切る現地の人々のたくましさに感動を覚えたそうで、今では、すっかり富良野の生活が気に入られているとのことでした。

「倉本聰の「北の国から」は自身の体験が反映されたものだった!」に続く

富良野演劇工場の前の倉本さん。

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