MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」のパーソナリティを40年以上にわたって務め、「浜村節」といわれる独特の話術で多くの人々を魅了する、浜村淳(はまむら じゅん)さんですが、そんな浜村さんは、幼少期からずっと「宝塚歌劇団」の大ファンなのだそうです。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
浜村さんは、1935年1月10日生まれ、
京都府京都市北区鷹峯(たかがみね)のご出身、
身長165センチ、
血液型はA型、
学歴は、
京都市立鷹峯小学校
⇒京都市立旭丘中学校
⇒京都府立山城高等学校
⇒同志社大学文学部卒業
趣味は、
映画鑑賞、読書
ちなみに、浜村さんは、年齢を言わないのがポリシーで、年齢を聞かれると「アラン・ドロンと同じです」と答え、相手がアラン・ドロンの年齢を聞き返してくると「私と同じです」と答えられていたそうです。
ただ、近年は、新聞、テレビなどに出演されると、名前の後に()書きで年齢を書かれてしまい、隠しても無駄なため、聞かれた時には、年齢を言うこともあるようです。
本名は?芸名の由来は?
浜村さんは大学卒業後、靴下メーカーに勤務されているのですが、この靴下メーカーが朝日放送制作によるラジオ番組のスポンサーだったことから、浜村さんは新入社員だったにもかかわらず、スポンサーのついたラジオ番組の脚本を任されていたそうです。
ただ、浜村さんはこの仕事を、両親に内緒にで進めていたことから、その事情を知る番組担当の女性ディレクターから、番組の最後に放送されるクレジット用の芸名をつけることを提案されたそうで、
本名「塩濱眞(しおはま まこと)」の苗字「塩浜」から「浜」、ディレクターの苗字「奥村」から「村」をとって「浜村」とし、
下の名前の方はというと、
今後の仕事も順調であって欲しいから、”じゅん”と読む字を名前に入れたい。でも、”順”という字には野暮ったい印象があるので、「さんずいの付く漢字を名前に入れると縁起が良い」という(当時の)芸能界の言い伝えに沿おう
と、奥村さんの提案で「淳」となったのだそうです。
宝塚歌劇団の大ファン
そんな浜村さんは、「宝塚歌劇団」の熱心なファンで、自身のラジオ番組に現役のタカラジェンヌをゲストに招かれるほか、「第1回宝塚歌劇検定」を受験されるほどなのですが、
浜村さんが、なぜ、「宝塚歌劇団」のファンになったかというと、浜村さんが11歳の時、お母さんに連れられて、初めて「宝塚歌劇団」の京都公演「ピノチオ」を観に行った際、
(宝塚歌劇団初の京都公演だったそうで、地元では、京都に宝塚が来ると大騒ぎになったそうです)
男役スター・春日野八千代さんが、少年ピノチオに扮し、飛んだり跳ねたりするほか、おじいさんも出てきたそうですが、
(春日野八千代さんは「永遠の二枚目」「宝塚の至宝」と称されるほどの人気だったそうです)
それを観たお母さんが、
あれなあ、みんな女のお人がおやりやすんどすえ
と、教えてくれたそうで、
まだ子どもだった浜村さんは、お母さんの言葉にものすごいショックを受け、その瞬間、宝塚の虜(とりこ)になってしまったのだそうです。
ちなみに、浜村さんは、2015年、若い頃、宝塚の娘役だった八千草薫さんと対談された際、
文福茶釡の狸、よかったです。源氏物語の八歳の若紫、かわいらしかったです
と、当時の舞台の感想を語り、八千草さんを喜ばせているのですが、
70年前の舞台を鮮明に記憶している浜村さんが、どれほど宝塚のファンかが伺えます。
「浜村淳は幼少期に時代劇のロケを見て映画に夢中になっていた!」に続く