1985年8月、前妻(最初の妻)と離婚した後は、豪邸を出て都内のマンションで一人暮らしをし、1994年には再婚したという、岸部四郎(きしべ しろう)さんですが、再婚相手(2番目の妻)の小緒理さんとは僅か4年で死別していたといいます。
今回は、岸部四郎さんの再婚相手(2番目の妻)小緒理さんとの馴れ初めから死別までをご紹介します。

「岸部四郎の前妻(最初の妻)はハーフ!離婚理由は?慰謝料は豪邸だった?」からの続き
岸部四郎の再婚相手(2番目の妻)小緒理との馴れ初めは?
岸部四郎さんは、1985年8月に前妻(最初の妻)と離婚した後は、当時、地価1億5千万円といわれた豪邸に前妻と子供を残し、都内の2DKのマンションで一人暮らしをしていたそうですが、
「ルックルックこんにちは」で活躍していた1994年には、行きつけだったブティックで店員をしていた、小緒理(さおり)さん(当時30歳)と再婚(14歳差の年の差婚)したといいます。
岸部四郎は再婚相手(2番目の妻)小緒理とは公私ともにパートナーだった
結婚後、岸部四郎さんは、小緒理さんをマネージャー(兼運転手兼付き人)とし、小緒理さんさんと二人三脚で歩み始めたそうですが、
小緒理さんは、岸部四郎さんが栄養が偏って糖尿病などにならないようにと、食事の管理を徹底していたそうで、楽屋のお弁当などは一切食べさせず、おにぎりを持参させていたほか、
本番中は、スタジオのかたわらに立って、岸部四郎さんの様子をずっと見ていたそうで、
(岸部四郎さんは具合が悪くなると、少し手を上げることにしていたそうです)
岸部四郎さんは、小緒理さんの苦労について、2007年6月、週刊誌「女性自身」のインタビューで、
彼女はずっと休まらない。『あなたに付くというのは大変なのよ。普通の人ではできない』って、言ってました
と、語っています。
岸部四郎と再婚相手(2番目の妻)小緒理の夫婦仲は?
ちなみに、「ルックルックこんにちは」で岸部四郎さんと共演したことがある、コラムニストの山田美保子さんは、この頃の岸部四郎さんと小緒理さんについて、
(「ルックルックこんにちは」の)後期、10時台後半に「第3部」というローカル枠があって、そこに時々出演させていただいたのです。
すごく覚えているのは、ダイエット特集のときに私が「これまで、ダイエットにベンツ1台分くらい、費やしている」とコメントしたところ、岸部さんがすかさず、「ベンツと言っても、いろいろクラスがあるでしょ? 1000万円以上ということ?」と聞いてこられたときでした。
私は当時乗っていた、「小ベンツ」こと190E(つまり300万円台)のことを言っていたのですが、その頃、芸能界随一のハイブランドコレクターであり、古美術商もなさっていて、高級車にも一家言もっていらした岸部さんは、「そこはもっと詳しく言わなくちゃ」とスルーしてはくださいませんでした(苦笑)。
その頃は、奥様の小緒理さんがたびたびスタジオにいらしていて、私がエルメスのバーキンを初めて見たのは小緒理さんのそれ。そうした“お宝”だらけのご自宅に行かせていただいたこともありました。
と、語っており、
当時、岸部四郎さんは羽振りが良く、小緒理さんとの結婚生活も順調だったことが伺えます。

岸部四郎さんと妻の小緒理さん。
岸部四郎と再婚相手(2番目の妻)小緒理は借金取りに追われるようになっていた
しかし、やがて、「ルックルックこんにちは」の本番中に、借金取りから電話がかかってきたり、借金取りがスタジオに押しかけてくるようになったそうで、
岸部四郎さんは、
毎日が分刻みの金策になりました。「ルック」の本番中でも、バイブモードにしてある今の妻(小緒理さん)からのポケベルが鳴る。
「07」が借金関係のトラブルと決めてあり、「07070707」とたくさん並んだら緊急のトラブルの印。そうなると心ここにあらずになってしまうんです。
と、語っています。
岸部四郎は自己破産するも再婚相手(2番目の妻)小緒理には励まされていた
そんな中、1998年、岸部四郎さんは、自ら申し出て、「ルックルックこんにちは」を降板しているのですが、
実は、この頃、年収が2億円近くあったにもかかわらず、稼いでも稼いでも金利で消えていき、手元に全く残らない状態になっていたのだそうです。
そこで、仕方なく自己破産すると、これまで親しくしていた人々は、潮が引くように去っていったそうですが、
小緒理さんは、
またのし上がって、若い女のコと浮気するくらいになって
と、励まし続けてくれたといいます。

岸部四郎さんと妻の小緒理さん。
岸部四郎は再婚相手(2番目の妻)小緒理に献身的に介護してもらっていた
また、岸部四郎さんは、2003年には、「脳内出血」で倒れたそうで、一命は取りとめたものの後遺症が残り、要介護者となってしまったそうですが、
その時も、小緒理さんは、見捨てずに献身的に介護してくれたといいます。
岸部四郎の再婚相手(2番目の妻)小緒理は43歳で急死していた
そんな小緒理さんは、2004年、雑誌「婦人公論」のインタビューで、
彼を1人にさせる訳にはいかなかった。それは人間は辛い時に1人にしてはいけない。1人にしたら絶対にどうにかなってしまうと思ったからです。
と、岸部四郎さんと離婚しなかった理由を語っていたのですが・・・
なんと、2007年、43歳という若さで「心臓発作」により急死。
岸部四郎さんによると、朝起きて、階段を降りると、台所で倒れている小緒理さんを発見したそうで、小緒理さんは、その時には既に息を引き取っていたのだそうです。
実は、小緒理さんは、その少し前から、自身の体調の異変に気付いていたようで、
岸部四郎さんは、小緒理さんの死後、テレビ番組で、
でも何か病院嫌いで、とにかく病院に行かないんですよ。
「検査すれば悪いところが見つかるから、大変だから。岸部さんが大変になっちゃうから私はもういいのよって、そんなもの。」と言うんですよね。
「もし何かが見つかって、1週間でも2週間でも、入院でもしなきゃならないというようなことになったら・・・」
と、明かしています。
岸部四郎は再婚相手(2番目の妻)小緒理に対する後悔を口にしていた
その後、岸部四郎さんは、2007年、「婦人公論」(2007年7月7日号)のインタビューで、
霊安室に連れて行かれてからは、なんだかワケがわからん状態になってしまった。彼女がね、深い穴に落ちていってしまうような気がしたんですよ。手を伸ばしても届かないような、そんなもどかしさを感じて、思わず大声をあげていました
お通夜のときも、何やら喚(わめ)き散らしてしまいました。あのとき小緒理に何を伝えたかったのかな。ゴメンね、だったのか、もう一度目を開けてくれ、だったのか。
自己破産から丸9年。彼女の人生最後の約10年は、僕のせいで苦労ばっかりだったんです。普通は逃げますよね。いっそ僕から逃げ出していれば、彼女は命を縮めなくてすんだかもしれません・・・
いくら悔やんだところで、彼女が戻ってくることはありません。どうしても会いたければ僕があっちに行くしか方法はないんですよ
と、語っているほか、
「女性自身」のインタビューでも、
僕が幸せにできなかったというのは、ものすごく悪い気がしてきてね。そういう思いばっかりなんですよ。嫌な思いをさんざんさせて・・・
情けない話だけど、いまのぼくには仏壇を買うお金がないんですよ
(「ルックルック」の司会を務めていたころに)きちんと蓄えとけば、こんなことにはならなかった。女房に苦労をかけることもなかったと、いまさら後悔しても遅いんだけど・・・
と、後悔を口にしています。
(その後、岸部四郎さんは、小緒理さんを亡くしたショックでうつ状態になり、2009年には、救急車で救急搬送されるなど体調が悪化。2012年からは老人ホーム暮らしとなるも、復帰に向けて闘病を続けていたそうですが、2020年8月28日に他界されています)
「岸部四郎の子供は息子1人娘1人!岸部一徳は兄!岸部大輔は甥!」に続く
![]()


