ザ・タイガース」のバンドボーイを経て、1969年に「ザ・タイガース」に加入すると、ステージ上での軽快なトークで人気を博し、「ザ・タイガース」解散後も、そのトークの才能を活かして、司会者、タレント、俳優として活躍した、岸部四郎(きしべ しろう)さん。

そんな岸部四郎さんは、幼い頃、異母兄弟を含めた9人という大家族で貧しい暮らしだったそうですが、中学時代には、洋楽に夢中になると、中学卒業後は、一旦就職するも早々に退職し、

「ザ・タイガース」のメンバーだった兄・岸部一徳さんを頼って上京し、「ザ・タイガース」のバンドボーイ(雑用係)となると、やがては、米留学させてもらっていたといいます。

今回は、岸部四郎さんの生い立ち(幼少期~アメリカ留学時代)をご紹介します。

岸部四郎

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岸部四郎のプロフィール

岸部四郎さんは、1949年6月7日生まれ、
京都府京都市の出身、

身長187センチ、

学歴は、
京都市立近衛中学校卒業、

趣味は、
読書、音楽観賞、卓球、サイクリング、

ちなみに、「岸部四郎」は本名で、「岸部シロー」として活動していた時期もありました。

また、お兄さんは、俳優の岸部一徳さんです。

岸部四郎の幼い頃は異母兄弟も含む大家族で貧しかった

岸部四郎さんは、元職業軍人のお父さん・徳之輔さんのもと、6人兄弟(姉2人、兄3人)の末っ子(四男)として誕生したそうですが、

お父さんは、戦後、定職に就かず、芸事や賭け事が好きで借金も多かったことから、いつも経済的に苦しく、何度も引っ越しをしていたそうで、

兄弟がバラバラになって何軒かの親戚の家に預けられたこともあり、岸部四郎さんが4~5歳の時には、熊本の伯母さんの家に身を寄せていたそうです。

しかも、お父さんは、働いていないにもかかわらず、愛人が4~5人おり、愛人との間に生まれた異母兄弟も3人もいて、一緒に住んでいたことから、岸部四郎さんの家は大家族だったそうです。

(岸部四郎さんは、異母兄弟3人を含めると9人兄弟ということになります)

岸部四郎は幼い頃に養子に出されそうになっていた

そんな中、長女が養子に出されると、岸部四郎さんにも養子の話が持ち上がったそうですが、

お母さんが末っ子の岸部四郎さんをかわいがっていたことから、養子に出されずに済んだそうです。

岸部四郎は小学6年生の時に「のど自慢大会」で優勝していた

また、岸部四郎さんは、幼い頃から歌が上手で、小学6年生の時には、「のど自慢大会」で優勝したこともあったそうです。

岸部四郎は中学時代は洋楽を夢中で聴いていた

その後、岸部四郎さんは、中学に進学すると、洋楽に夢中になり、ラジオで放送されていたアメリカのヒットチャートトップ10を毎週ノートに記録していたそうで、

元「ザ・タイガース」の森本太郎さんは、この頃の岸部四郎さんについて、

ピー(瞳みのるさん)とサリー(岸部一徳さん)とは同じ中学だった。高校生になってからサリーの家に遊びに行くようになって、そこにサリーの弟、3歳下のシローがいた。

ラジオの入りにくい電波をキャッチして、一生懸命音楽を聴く姿が印象的でね。シローとは少しずつしゃべるようになったけど、それでも面白いというより、おとなしい感じだったね。

と、語っています。

岸部四郎は17歳の時に「ザ・タイガース」のバンドボーイ(雑用係)となっていた

そんな岸部四郎さんは、1965年、中学卒業後は、京都の印刷会社に就職したそうですが、長続きせず、早々に退職したそうで、

1967年春には、「ザ・タイガース」のメンバーだったお兄さんの岸部一徳(当時は岸部修三)さんを頼って上京すると、「ザ・タイガース」のバンドボーイ(雑用係)となり、約1年ほど行動を共にしたそうで、

楽器運びなどの手伝いをしつつ、海外でヒットしている曲をメンバーに伝えるという役割も担ったそうです。

岸部四郎は19歳の時に音楽評論家を目指しアメリカ留学していた

そんな中、岸部四郎さんは、池袋にあるジャズ喫茶で、ポルトガル系アメリカ人の血を引く美しい女性と出会い、一目惚れしたそうで、親しくなったそうですが、

彼女がアメリカへ留学することになると、もともと海外に憧れを抱いていた岸部四郎さんは、アメリカへの想いが強くなり、

本場のロックを見て、新しい情報を送るから、米国に行かせてほしい

と、メンバーにお願いしたそうで、

翌1968年には、音楽評論家を目指し、メンバーと渡辺プロダクションの援助を受けて、単身でアメリカロサンゼルスへ留学したのだそうです。

(ロサンゼルスは、当時、最先端の若者音楽発祥の地だったそうです)

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岸部四郎は19歳の時に渡米し音楽三昧のヒッピー的な生活を満喫していた

こうして、岸部四郎さんは、1968年7月15日、ロサンゼルス行きの貨物船に乗船し、13日間の航海を経てカリフォルニアに到着すると、音楽雑誌「ミュージック・ライフ」の音楽特派員として活動を始めたそうで、

元「ザ・タイガース」の森本太郎さんは、この頃の岸部四郎さんについて、

米国滞在中にも、米国からいろんな情報を送ってくれた。当時の日本は米国のヒット曲も遅れて発売されていた。僕らには早くいい曲を見つけることが大事だったので、シローにはその点、本当に助けられた。

と、語っているのですが・・・

実際には、岸部四郎さんは、好きなコンサートに足を運び、それ以外の時間はラジオから流れてくる音楽に夢中になるという、音楽三昧のヒッピー的な生活を送るほか、

ポルトガル系アメリカ人の彼女とも再会を果たし、デートを重ねるうち、やがて同棲するなど、アメリカ生活を満喫していたのだそうです。

(ちなみに、この頃、「ザ・タイガース」の人気は凄まじく、メンバーである岸部一徳さんの弟というだけで、岸部四郎さんのもとにも、毎日20通を超えるファンレターがエアメールで届いていたといいます)

「【画像】岸部四郎の若い頃はタイガース!兄・岸部一徳とサリー&シローも!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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