大衆演劇界のスターだった両親のもと、お芝居に恵まれた環境で何不自由なくすくすく育つと、幼い頃から演技の才能を開花し、天才子役と称された、梅沢富美男(うめざわ とみお)さんですが、小学校3年生の時、人生が一変します。
「梅沢富美男は幼少期から天才子役も性格は最悪だった!」からの続き
小学校時代は祖母の家に預けられていた
幼い頃から、早くも演技の才能を開花し、「天才子役」としてもてはやされた梅沢さんですが、6歳になると、義務教育はきちんと受けさせたいとの両親の教育方針で、小学校に通うため、兄弟から離れ、たった一人、福島のおばあちゃんの家に預けられます。
すると、鼻持ちならない性格だった梅沢さんも、さすがに寂しくなったそうで、最初は夏休みになると、旅公演で全国を回っている両親に会いに行ったそうですが、両親に会うと、別れる時に悲しくなるため、小学校3年生以降は、もう、会わないようにしたのだそうです。
大衆演劇が廃れて貧乏生活に
ただ、1959年、梅沢さんが小学校3年生(8歳)の時には、それどころではなく、テレビ、映画のブームが訪れて、大衆演劇が廃れ始め、わざわざ劇場にお芝居を観に来てくれる人が減っていったことから、「梅沢劇団」の興行も厳しくなり、
当初は生活するのに十分だった両親からの仕送りも、だんだん減っていき、ついにはギリギリにまでなってしまったそうで、
裕福でお坊ちゃん育ちだった梅沢さんも、着の身着のまま、裸足に下駄履き、教科書も文房具も買えず、さらには、学費・給食費も払えないほど、貧乏な生活に陥ってしまったそうです。
ちなみに、ある日のこと、給食の時間に、先生から、
校庭に出てなさい
と、言われたことがあったそうですが、
それは、梅沢さんが、給食費の滞納で給食を食べることができなかったため、教室にいると、食べ物のにおいで梅沢さんが辛くなるだろうからという、先生の配慮だったといいます。
(しばらくは先生が給食費を立て替えてくれていたそうですが、それも払えなくなってしまったそうです)
また、家のご飯も、白米から麦飯へと変わり、おかずはネギを大量に入れた納豆だけだったこともあったのだそうです。
(そのため、梅沢さんは、今でもネギは大嫌いだそうです)
小学生からアルバイトを始める
そこで、梅沢さんは、家計を助けるため、新聞配達とイナゴ捕りのアルバイトを掛け持ちで始めたそうで、イナゴ捕りは5円もらえたため、5円でおからを買ったりしたそうですが・・・
(当時、小学生は、新聞配達をしてはいけないことになっていたのですが、内緒で朝刊の配達をさせてもらっていたそうです)
アルバイトをしても貧乏から抜け出せなかったことから、ついに、梅沢さんは盗みをしようと、鉄クズ拾いに行った工場に侵入。
(バレて捕まってしまったそうですが、その時出てきた工場の奥さんがお母さんの弟子だったことから、許してもらったそうです。)
また、梅沢さんは、学校の友達から、「貧乏人」と言ってからかわれていたことから、それが嫌でだんだん学校にも行かなくなっていったそうで、
梅沢さんは、後に、
いま思い出しても、楽しいことなんて1つもない。まさに暗黒の時代ですよ。でも、あの経験があるからこそ、逆境にめげない、強く生きる術が学べたのだと思っています。
と、語っておられます。
兄に助けられ貧乏生活から脱出
そんな中、梅沢さんが小学校5年生の時、「梅沢劇団」の座長を継ぎ、福島に凱旋公演で訪れたお兄さん・武生さんと再会すると、
お兄さんは、変わり果てた梅沢さんの姿を見て、とても驚き、
富美男をここに置いておくことはできない
と、前橋の家に移り住まわせてくれたそうで、
ようやく、梅沢さんは貧乏生活から抜け出すことができたのだそうです。