子どもの頃から勉強が苦手で、カンニングの常習犯だったほか、エスカレーター式の学校だったにもかかわらず、高校3年の時には留年、そのうえ、2年連続浪人していた、なべやかんさんですが、そんな息子を案じるあまり、父親のなべおさみさんが事件を引き起こしてしまいます。

「なべやかんの少年時代は勉強が苦手でカンニングの常習犯だった!」からの続き

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明治大学替え玉事件

父親のなべおさみさんにとっては、子どもの頃から勉強が出来ず、エスカレーター式の学校でも留年する息子のことは、ずっと心配のタネだったのですが、

そんなある時、

息子さん明治大学に入れたらいいがな

と、ある人から誘われたそうで、

幼い頃、仕事が忙しくて一緒に遊んであげられなかった負い目もあり、

やっと父親らしいことをしてあげられる!

と、この誘いに乗ってしまいます。(明治大学替え玉事件)

明治大学には願書を提出しただけで合格していた

そして、なべさんは、父親のおさみさんから、何度も、

写真は絶対貼るな!

願書の封筒は絶対閉じるなよ!

と、言われ、なんとなく疑問を感じるも、

父が言うなら

と、明治大学に願書を出すと、

1ヶ月後、相撲部への推薦という形で、明治大学二部の商学部の合格通知が届いたそうで、

後に、なべさんは、

本当に入れるんだって。六大学(東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、立教大学、法政大学をまとめた大学群のこと)かって感じですよね。オレが六大学かって。サークル活動にあこがれていたので、いいなぁっていう

と、その時の率直な心境を明かされているのですが・・・

受験書類には知らないキツネ顔の男の写真が貼られていた

それから2ヶ月後(入学する3日前)、突然、大学から呼び出しの電話があり、なべさんが大学を訪れると、10人くらいの大学関係者の前に座らされ、2枚の写真を見せられたのだそうです。

(なべさんは、ここで初めて、自身が替え玉受験をしていたことを知ったそうです)

すると、1枚はなべさんご本人だったのですが、もう1枚には、知らないキツネ顔の男の写真が貼られていたそうで、

大学の教授に、

写真が違うように見えるけど君から見てどう思うかね?

と、聞かれると、

なべさんは、とっさに、

受験の時はやつれていましたから、自分です

と、嘘をついたそうですが、

(自分に何かあると父親の名前が出てしまうから、かばわないといけないという、とっさの判断だったそうです)

その後、「どこで受験受けた?」「何科目だ?」などの質問に答えられず、なべさんの入学は取り消されてしまったのでした。

父親のなべおさみが「明治大学替え玉受験」の釈明会見を開くも・・・

それでも、当の本人のなべさんはというと、お父さんの価値観でやったことだからと、危機感はまったくなく、春休みには、のほほんと熱海に旅行に出かけていたそうですが、

熱海の街頭ビジョンで、一連の出来事が「明治大学替え玉事件」として騒動になっていることを知り、

お父さんからも、

騒動になってるから家に戻ってくるな。潜伏してろ

と、言われ、熱海にそのまま滞在。

すると、1991年5月1日、父親のおさみさんが会見を開き、

楽屋に一人の紳士がやってきて、「推薦枠があるから明治に入れるよ」と、話をしてくれたことから、「試験を受けなくていいんだな」と、この誘いに乗ったことを発表されたのでした。

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マスコミからの批判で再び記者会見~親子共に大バッシングを受ける

ただ、「初対面なのに裏口入学の斡旋(あっせん)をする紳士がいるなんておかしい」とマスコミから批判を浴びたことから、おさみさんは、5月23日、再び会見を開くと、

紳士が古くからの知人だったことを白状し、

僕のために善意で動いてくれたんだと思います

と、涙ながらに謝罪。

そして、

世間知らずと云われるかもしれないが、世の中にはそういう話(推薦入学の話)が有るのかな、と思った

と、あくまで推薦入学だと信じ、替え玉だったとは知らなかったと否定されたのですが・・・

なべ親子へのバッシングは激しさを増し、父親のなべおさみさんは、司会を務めていた「ルックルックこんにちは」を降板させられるほか、すべての仕事を失ってしまい、ご近所からは総スカンを食らってしまったのでした。

(個人事務所は廃業となり、生活のため、家財道具一切を売り払ったそうです。)

「なべやかんは「全日本パワーリフティング選手権」を3度も制覇していた!」に続く

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