「乳ガン」手術後、病院でのリハビリでは明るく前向きに取り組むも、退院して自宅に戻ると、様々なことが今まで通りにいかないことでウツになってしまった、音無美紀子(おとなし みきこ)さんですが、家族の献身的な支えにより、徐々に回復していったといいます。
「音無美紀子は乳ガンがきっかけでウツ病になっていた!」からの続き
引っ越し作業で一歩踏み出す
新居の壁紙を決める作業も楽しいと思えず、周囲の気遣いにも応えることのできない申し訳なさから、だんだんと暗い気持ちになっていったという音無さんですが、
そんな中、借りていた家の持ち主が、急遽海外から帰ってくることになり、半年以内に新居に引っ越さなければならなくなったそうで、
音無さんとしては、「もう命はない」つもりでいたそうですが、現実として、生きていることから、「さてどうしよう」と、暗い気持ちのまま、仕方なく、鉛のように重い体を引きずるようにして、お茶碗を包むなど、引っ越しの準備を始めると、
最初は辛かったものの、だんだん、夢中でやっている自分に気づいたそうで、なかなか踏み出せなかった一歩を、現実問題に追われたことで、結果的に一歩踏み出すことができたと感じたのだそうです。
美しい自然に癒やされる
そして、実際、新居に引っ越してみると、新居は、たくさんの緑に囲まれ、朝日が射し込む、清々しく明るい家で、
窓からは富士山も見え、
なんて美しい眺めだろう
と、感動。
こうして、自然の力にも助けられ、ウツが癒え始めたのだそうです。
家族の言葉や存在に支えられる
また、音無さんは、ウツ症状が最もピークだった頃には、死を考えたこともあったそうで、
夫である村井國夫さんに、
死にたい
と、言ったこともあったそうですが、
村井さんが、
死んでもいいよ。でももう1年だけ生きてほしい。子供たちがまだ小さい。1年間くれたら君から家事を覚える。
と、「死にたい」という気持ちを受け止めてくれたことから、
私、生きなきゃ
と、思えるようになり、
小学生だった娘さんからは、
ママなんで笑わないの?
と、言われたことで、ハッとなり、意識して鏡を見ながら笑顔を作るようにすると、
(左胸を全摘してから一切鏡を見ることができなくなったため、この時、久しぶりに鏡を見たそうですが、口角が上がらず、どう笑えばいいかさえ、忘れてしまっていたことに気がついたそうです)
今度は口紅をつけてみようと言う気持ちになり、さらには、美容室に行こうと思うようになるなど、少しずつ回復したのだそうです。
ちなみに、夫の村井さんは、
とにかく頑張れと言っちゃいけない。頑張ってるわけだから。そばにいて手を握ったりとかね。寝る時はずっと手を握りながら寝てたんですけどね。死ぬとかもう私はダメだとかそういうことばっかり言うんですよ。
叱咤激励するわけにいかないから、ただ大丈夫だよと言って。子供たちの成長が楽しみだろうということを励ましの言葉として言うしかなかった。夜中、僕が目が覚めると、ずっと天井を見てるんですよ
と、明かされており、音無さんの回復は、このようなご家族の献身的なサポートの賜物だったようです。
夫・村井國夫の説得で「統一教会」を脱会
また、これまでずっと続いていた「統一教会」への信仰も、
夫・村井さんの、
君が一番信じられるのは僕ではなくて文鮮明(「統一教会」の設立者)なのか
という言葉で目が覚め、
信仰への思いと疑問が交錯して、どれが正しいのか判断できないわたしに、解決への糸口を紡いでくれたのは、夫だった。(村井さんとの共著「妻の乳房 -「乳がん」と歩いた二人の十六年」より)
と、村井さんに説得され、入会から6年後の1992年、ついに、「統一教会」を脱会されたのでした。