1973年、芸能人生命を賭けた俳優転身第1作目である、初主演ドラマ「どてらい男」が高視聴率を記録し、翌年には舞台化されると、原作者・花登筺(はなと こばこ)さんに舞台での在り方など様々なことを教わり、役者として自信をつけた、西郷輝彦(さいごう てるひこ)さんですが、その後、また、大きな出会いがあったといいます。

「西郷輝彦は花登筺に見いだされて俳優に転身していた!」からの続き

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森繁久彌との出会い

西郷さんは、1973年、俳優転身第1作目の初主演ドラマ「どてらい男」が、視聴率30%超の大ヒットを記録し、翌年には舞台化されるほどの人気ぶりだったため、

(演技でも)自分は天才だ、と思っていました。怖いもの知らずだった。

と、得意になっていたそうですが、

大阪・梅田コマ劇場で、舞台「どてらい男」を上演していた時、次の舞台のための稽古をしていた、俳優・森繁久彌さんに声をかけられたそうで、

(森繁さんは、舞台袖から西郷さんを見ていたそうで、「変なやつがいるな。オイ、あいつをちょっと呼べ」と、なったそうです)

すぐに、森繁さんのところに挨拶に行くと、

森繁さんは、たった一言だけ、

いっぺん、オレの芝居を見に来い

と、言ったのだそうです。

(その一言は、他を圧する重々しさで、西郷さんは、その迫力にたじろぐほどだったそうです。)

森繁久彌の芝居に衝撃を受け弟子入りを志願する

その後、西郷さんは、しばらく経って、「どてらい男」の舞台が終わった後、森繁さんの公演「曾我廼家 五郎・十郎」を名古屋に観に行かれたそうですが・・・

西郷さんは、

オレは何をしていたんだ。これが芝居だ

と、その迫力、演技の存在感に心を打たれ、まるで頭をぶん殴られたような気持ちになったそうで、

ああ、オレは もう恥ずかしくて芝居なんかできない

と、これまでの自分が恥ずかしくなり、すぐに森繁さんのホテルに向かい、

ぼくを舞台に出してくれませんか

と、森繁さんの公演に出させてほしいと頼んだそうで、

最初は森繁さんに、

おまえは自分で舞台をやっているんだから別にいいだろ

と、言われたそうですが、

西郷さんが、

もう、ぼくは何がなんだか分からなくなっちゃったんです。どうかお願いいたします

と、食らいつくと、森繁さんは舞台に出ることを了承してくれたのだそうです。

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10年後には抜き打ち試験も

こうして、西郷さんは、森繁さんが出演する帝国劇場での舞台「暖簾(のれん)」「孤愁の岸(こしゅうのきし)「屋根の上のヴァイオリン弾き」などに出演されたそうですが、

森繁さんは、長台詞を、時々、意図的に中断したそうで、

役作りには、本当に慎重になりました。そうでないとすぐにメッキがはがれて、見ている人にばれてしまう

と、後に続かなければならない西郷さんは、自分の役のセリフを覚えてから、森繁さんのセリフも全部覚えるようになったそうです。

そして、その後も、竹脇無我さんや松山英太郎さんらとともに、「森繁ファミリー」の一員として、森繁さんの舞台で俳優としてのキャリアを積まれると、

(森繁さんが80歳になる頃まで、舞台に出させてもらっていたそうです)

10年以上経った、ある舞台上では、森繁さんから、突然、

きみの父親の名前は何という?

と、視線を向けられたそうで、

(台本には何も書いていなかったそうです)

西郷さんは、観客を前に頭の中が真っ白になり、かといって物語の流れを止めるわけにもいかず、慌てふためき、とっさに自分のお父さんの名前を口にしてしまったそうですが、

実は、これは、森繁さんの抜き打ちテストで、お父さんの名前というのは、もちろん、西郷さんの本当のお父さんの名前ではなく、演じている役柄についてのアドリブだったそうで、

このアドリブにまったく反応できなかった西郷さんは、お芝居の厳しさと難しさを改めて感じるばかりだったそうで、

西郷さんは、後に、森繁さんが、

台本に書いてないことも自分で答えられるくらいに役作りをしろ

と、言いたかったのだと、理解できるようになったのだそうです。

「西郷輝彦のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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