歌手としても俳優としても成功を収めると、近年では、バラエティでのタレント活動など、他の分野でも才能を発揮されている、西郷輝彦(さいごう てるひこ)さん。今回は、そんな西郷さんのプライベートについてご紹介します。
「西郷輝彦のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
元妻は歌手でタレントの辺見マリ
西郷さんは、1972年、25歳の時、歌手の辺見マリさんと結婚されています。
西郷さんは、青春歌謡アイドルとして活躍するも人気が低迷し始め、どのようにすればアイドルから脱皮できるか悩み始めていたちょうどその時、デビューを目前に控えていたマリさんと出会われたそうで、
西郷さんは、マリさんの初々しさや、日本人とスペイン人のハーフという、エキゾチックなルックスに惹かれていったのだそうです。
長野県軽井沢で電撃婚
そんなお二人は、忙しいスケジュールの合間を縫って、人目を忍んで逢瀬を重ね愛を育むと、1972年2月、長野県軽井沢にある「聖パウロ教会」で結婚式を挙げられているのですが、
この結婚は、マリさんの両親と西郷さんの友人1人、そして女性週刊誌の記者1人だけにしか知らせていなかったため、電撃婚として大きな話題となったそうです。
(西郷さんの両親はこの結婚に反対だったため、西郷さんは両親に知らせなかったそうです)
辺見マリは結婚後に芸能界を引退
ちなみに、マリさんは、お父さんがスペイン系アメリカ人、お母さんが日本人のハーフで、1969年、「ダニエル・モナムール」で歌手デビューすると、翌年の1970年には、「やめてぇ」という、ため息混じりの歌詞が入ったセカンド・シングル「経験」が男性を中心に大ヒット。
その後も、「私生活」(1970)、「めまい」(1971)をリリースし、セクシー歌手として人気を博していたのですが、
結婚後は、西郷さんがマリさんに、歌手としての仕事を辞め、家にいるよう求めたため、マリさんは芸能界を引退。主婦業に専念されたのでした。(二人の子どもが誕生しています)
「ダニエル・モナムール」より。
離婚理由は性格の不一致だった?
こうして、幸せな日々を送られているかと思われた二人ですが、1981年に離婚。
離婚理由については、当時、西郷さんが多忙を極め、自宅に帰るのが週に1度という生活だったため、徐々に二人の心がすれ違っていったほか、「性格の不一致」とも語っていた二人ですが、実は、内情は少し違っていたようです。
辺見マリは専業主婦に嫌気が差していた
というのも、マリさんは、結婚当初は、スーパーで野菜を値切っているところを週刊誌に報じられ、
あんなスターが
と、話題になるも、次第に、それも当たり前となって噂にもならなくなると、寂しさを感じるようになっていったそうで、
そんなある日、西郷さんが、朝方まで友達と飲み、大雨の中、(傘がなかったため)ずぶ濡れになって帰ってきたことがあったそうですが、マリさんは、そんな自由な西郷さんが許せず、西郷さんが雨戸を蹴っ飛ばしても反応せず、西郷さんを締め出してしまったこともあったそうで、
そのうち、マリさんは、ことあるごとに、
テレビに出ちゃだめ?
と、西郷さんに聞くようになったそうですが、
西郷さんは、
嫁になってくれると言ったじゃないか
と、聞き入れなかったそうで、
ついには、マリさんの両親も、マリさんをテレビに出すよう西郷さんに要求するようになり、結婚から9年後の1981年に離婚となったというのです。
実際、西郷さんは、後に、
もう少し懐を深くして接していれば・・・。離婚の原因は相性という以前に、外で働くという生活スタイルの問題
と、明かされています。
離婚後は辺見マリが子ども2人を引き取る
ちなみに、離婚後は、マリさんが子ども2人を引き取られているのですが、西郷さんは子どもたちに会えないことが辛く、
子どもたちが小学校の校門をくぐるところを眺めたり、マリさんに譲ったマンションの近くのホテルに泊まって、子どもたちをこっそり見るなどされていたそうで、離婚から3年後、ようやく子どもたちに会うことができたのだそうです。
仲睦まじかった頃の辺見マリさんと西郷さん。