12歳で「劇団ひまわり」に入団すると、その後は、エキストラや舞台出演をこなし、16歳の時には、テレビドラマ「バンパイヤ」の主人公に抜擢されて人気を博した、水谷豊(みずたに ゆたか)さんですが、早くも芸能界に嫌気が差し、18歳の時には芸能界を引退していたといいます。
「水谷豊は子役だった!高1でいきなり「バンパイヤ」の主演に抜擢!」からの続き
18歳で芸能界を引退していた
1968年、16歳の時、テレビドラマ「バンパイヤ」で主演に抜擢され、一躍、注目を浴びるも、当初の目的だった「箱に入る」ということを果たしたことや、芸能界の大人たちに不信感を抱き始めていたこと、そして、同年、高校に進学したことで、テレビへのこだわりがなくなりつつあったという水谷さんですが、
そんな中、今度は映画出演の話が舞い込んできたそうで、
映画は初めてだし、ついでに覗(のぞ)いてから終わりにしよう
と、映画は出演するものの、その後、芸能界を引退することを決意したのだそうです。
そして、1970年、18歳の時、映画「その人は女教師」(岩下志麻さん主演)で映画デビューされると、多くのドラマ関係者は期待を寄せたそうですが、
水谷さんは、決意した通り、「劇団ひまわり」を退団し、あっさりと芸能界を引退されたのでした。
「その人は女教師」より。中央が水谷さん。両端は三船史郎さんと岩下志麻さん。
ちなみに、当時、日本テレビのプロデューサーだった高橋靖二さんは、
なんとか彼にいい作品に出てもらいたいな、という気持ちを持っていたんですけど、その時上司がですね、『水谷豊はもう引退したいと言ってるよ』という話をチラっと聞いた事があります。
そして、その上司は水谷さんに、 『大げさに引退なんて事を発表しない方がいいよ。もし、またこのような世界に入ってくる時に非常に困るだろう』ということを水谷さんに言ったよと言っていました
と、明かされています。
受験に失敗し発作的に家出していた
そんな水谷さんは、芸能界引退後は、アメリカの大学への進学を目指し、真剣に準備に取り組んでいたそうですが、ちょうどその頃、お父さんの会社が倒産。アメリカ留学どころではなくなってしまいます。
そのため、方向転換し、日本の大学である東京商船大学(現在の東京海洋大学)を受験されたのですが・・・不合格。
その後は、浪人生活を送っていたそうですが、まもなく、家に引きこもる自分が嫌になり、なんと、発作的に家を飛び出したのだそうです。
家出中は見知らぬおじさんに助けてもらっていた
とはいえ、その時の水谷さんの所持金はたったの400円だったそうで、たどり着いた高尾山で仮眠を取ろうとするも、寒さのため、ほとんど眠れず。
ただ、夜が明けて、とぼとぼと歩いていると、車を運転するおじさんに声をかけられ、釣りに誘われたそうで、誘われるがままに釣りに付き合うと、
(さすがに家出してきたとは言えなかったそうです)
そのおじさんは、自分の家に招き、ご飯までごちそうしてくれたそうで、
(家には奥さんと赤ちゃんがいたそうです)
水谷さんがお礼を言って帰ろうとすると、今度は、
金、ないんだろ?
と、2000円までくれたのだそうです。
(水谷さんは、その後、このおじさんを探したそうですが、場所を思い出せず、結局見つからなかったそうです)
家出中は公園で野宿をしたり住み込みのアルバイトをしていた
その後、水谷さんは、自宅へは戻らず、しばらく、東京・立川市内の諏訪神社の隣の公園で野宿すると、やがて、山中湖のレストハウスで住み込みでアルバイトを始めたそうですが、
2ヶ月程経ったある日のこと、ふと、我に返って、家に電話をすると、
お母さんに、
もう帰ってきたら
と、諭され、自宅に戻ったのだそうです。
「水谷豊が若い頃は「傷だらけの天使」で人気を博していた!」に続く