「遠藤実歌謡教室」で3年のレッスンを終え、満を持して、遠藤実先生が専属する「日本コロムビア」のオーディションを受けるも、不合格となった、橋幸夫(はし ゆきお)さんですが、その後、「日本コロムビア」と並ぶ名門レコード会社「ビクター」のオーディションを受けと、見事合格します。
「橋幸夫は昔「日本コロムビア」のオーディションに落選していた!」からの続き
「ビクター」のオーディションを受けることに
レッスンを受けていた遠藤実先生の専属レコード会社である「日本コロムビア」のオーディションを受けるも、体よく断られ、不合格になった橋さんですが、
その後、遠藤先生があちこち知り合いに電話をしてくれたそうで、そんな中、ある新聞記者から、
「ビクター」(現在の「ビクターエンタテインメント」)なら毎年オーディションやってますから
と、教えられ、橋さんは、「ビクター」でオーディションを受けることになります。
(当時、「ビクター」は、「日本コロムビア」と並ぶ名門レコード会社だったそうです)
「ビクター」のオーディションに行くもすでに終わっていた
こうして、橋さんは、オーディションの日、遠藤先生と「渋谷のハチ公前」で待ち合わせしたそうで、当時、そこからデパート「松屋」をまっすぐ行ったところにあった、「ビクター」の本部とスタジオに向かったそうですが、
(学校が終わってからだったため、15分ほど遅刻をしてしまったそうです)
スタジオに到着するも、中からゾロゾロ人が出てきたそうで、もう、オーディションが終わってしまったことが分かったそうです。
「ビクター」のオーディションでは手応えを感じる
ただ、遠藤先生が交渉すると、
「ビクター」のスタッフは、
遠藤実さんですか? じゃあ、特別にお受けしますよ
と、遠藤先生の顔でオーディションをOKしてくれたそうで、
橋さんが、遠藤先生のピアノに合わせ、「日本コロムビア」の時と同じく「蟹工船」「人生劇場」を歌うと、
「ビクター」のスタッフは、
即答はできませんけど、後日ご連絡します
と、言ったそうで、その日は終わったのだそうです。
(橋さんは手応えを感じたそうです)
「ビクター」に合格するも、まだ嫌で仕方なかった
すると、それから1週間も経たないうちに、
「ビクター」から、
ぜひ、うちのほうでもって検討したいということになりました
と、遠藤先生のところに連絡があり、橋さんは、見事「ビクター」のオーディションに合格したのでした。
(橋さんが家族に、「ビクター」からデビューできるかもしれないことを伝えると、それはもう大はしゃぎだったそうです)
ただ、当の橋さんはというと、この時点でも、まだ、嫌で仕方がなかったそうで、
遠藤先生の熱心さとか、うちのおふくろの支援、家族ぐるみで応援するとか、これは何とも言い難いなと思いながらきちゃった。
と、明かされています。
「ビクター」の大ヒットメーカー・吉田正の弟子になる
さておき、「ビクター」のオーディションに合格した橋さんは、(当時は作曲家が弟子を取る制度があったことから)「ビクター芸能社」の課長から「ビクター」の大ヒットメーカーで作曲家の吉田正先生を推薦してもらい、後日、遠藤先生と一緒に、吉田先生の自宅へ挨拶に行くと、
(「ビクター」には10人以上の作曲家がいたそうですが、橋さんを誰に担当させるかで相当もめたそうです)
まるで猫のようにちょこんと座っていただけだったそうですが、
それから1週間ほど経った頃、吉田先生から、
橋君を預かろう
という返事が来たそうで、
橋さんは、晴れて「ビクター」と専属契約を交わすこととなったのでした。
「橋幸夫はデビューに先駆け人気TV歌番組で売り込まれていた!」に続く