1959年、22歳の時、ドイツ人女優・ロミー・シュナイダーさんと婚約するも、1963年、26歳の時には、ナタリー・ヴァルテルミーさんと婚約し、1964年には結婚。ただ、ナタリーさんとも1969年に離婚した、アラン・ドロン(Alain Delon)さんですが、その後に出会った、ミレーユ・ダルクさんとは長年交際されたようです。
「アラン・ドロンと元妻ナタリー・ドロンは離婚後も良好な関係だった!」からの続き
ミレーユ・ダルクとの馴れ初め
ドロンさんは、妻・ナタリーさんと別居状態の時、ミレーユ・ダルクさんと同棲を開始すると、その後、1983年までの15年もの間、女優のミレーユ・ダルクさんと交際していたそうですが、
実は、初めてお二人が出会ったのは、交際を開始する4年前の1965年だったそうで、「サン・モーリス」のスタジオで、映画「大貴族(Les bons vivants)」の撮影中だったミレーユさんに、隣のスタジオで仕事をしていたドロンさんが話しかけたことがきっかけだったそうです。
スペインへ行く飛行機の中で再会していた
ただ、この時は、ドロンさんとミレーユさんの仲はそれ以上は進展しなかったそうで、その後、お二人は、スペインへ行く飛行機の中で再会。すると、フライトの間中ずっと話をし、仲良くなったそうで、今度は、スペインで会おうと約束したそうです。
(ドロンさんは、映画「名誉と栄光のためでなく」(1966) の撮影、ミレーユさんは、「Barbouze cherie」の撮影が、それぞれスペインであったそうです)
しかし、ミレーユさんは、現地に着くと、ドロンさんに見つからないように、こっそりとホテルを変えたそうで、スペインで会うという約束は実現せず、お互い、それぞれの映画を撮り終え、この時もそれ以上、二人の仲は進展することはなく終わったのだそうです。
再び偶然出会いミレーユ・ダルクから電話
そして、それから数年後の1968年、ドロンさんとミレーユさんは、再び偶然出会うと、ミレーユさんがドロンさんに電話をしたそうですが、
ドロンさんは、ちょうどこの時、出演中だった「ジムナーズ座」の舞台「Yeux creves」(ジャン・コクトーさんがドロンさんのために書いた戯曲)が、「5月革命」(学生運動)の影響で、開幕から1ヶ月で「ジムナーズ座」が閉鎖されて中止となり、落ち込んでいたことから、
ミレーユさんから、映画「モンテカルロ・ラリー」の撮影でイタリアに行く予定だと聞くと、感情のまかせるままに、イタリアまでミレーユさんに会いに行ったそうで、これをきっかけに、ついに二人は交際をスタートさせたのでした。
ちなみに、ミレーユさんは、
彼を探していたわけではないけれど、彼に惹かれていた
と、1968年にドロンさんと再び偶然出会い、自分の気持ちに気づいたことから、ドロンさんに電話をしたことを明かしているのですが、
最初の約束を反故にし、ドロンさんと会わなかった理由についても、
彼が、少し恐かったから
私は、彼が度を越していると思った。いや、それ以上。何もかも。美形すぎるし、強すぎるし、男らしすぎる。だから彼から逃げようとしたのです
と、語っています。
「アラン・ドロンは恋人ミレーユ・ダルクを「ジェフ」のヒロインに起用していた!」に続く