1971年、特撮テレビドラマ「仮面ライダー」のオーディションを受け、見事、主人公・本郷猛/仮面ライダー1号役を射止めると、撮影中は、スタントマンを使わず、自らアクションシーンを演じていたという、藤岡弘、(ふじおか ひろし)さんですが、ついに、大きな事故を起こしてしまいます。
「藤岡弘、は昔「仮面ライダー」でブレイクしていた!」からの続き
「仮面ライダー」撮影中にバイクで大事故を起こしていた
東映からはスタントマンの話がなく、藤岡さん自身もまだ業界のことがよく分からず、全部自分でやるものだと思っていたことから、持ち前の運動神経の良さでスタントをこなすも、いつか何か起こるんじゃないかと、一抹の不安を感じていたという藤岡さんですが、
その予感は的中。10話目の撮影中のこと、バイクで走行中、コーナーを曲がりきれず、激突。数十メートルふっ飛ばされると、大腿骨を複雑骨折(大腿骨粉砕骨折)する重傷を負ってしまいます。
大腿骨粉砕骨折で再起不能と宣告されていた
そして、藤岡さんはすぐに病院に運ばれたのですが、最初に運ばれた病院では、手術をしても障害が残ってしまうと言われ、
実際、藤岡さんと同じような骨折をした若い人が、骨折してから1年を経過しても、まだ松葉杖を使っているのを見た藤岡さんは、
この病院にいたらダメだ。ずっと松葉杖の生活が続いてしまう
と、思ったそうです。
(その病院では、昔ながらの、骨折した部分を固定する治療法しかできなかったそうです)
転院を強行していた
そんな中、藤岡さんのお母さんが出会った人が、知り合いの病院を紹介してくれたそうで、その病院から迎えが来てくれたそうですが、
入院中だった病院は、「この病院を出たら保証しません。責任を持ちません」と言って、出してくれず、治療記録もレントゲン写真も渡してくれず。
それでも、お母さんが、「私の子供ですからいいです。このまま出ます」と言って、藤岡さんは、迎えの看護師と共に車に乗り、新しい病院に行ったのだそうです。
ベトナム戦争で開発された新しい手術方法を受ける決意をする
こうして、新しい病院に移った藤岡さんですが・・・
藤岡さんの症状があまりにも危険な状態だったことから、その病院でも、通常の手術では一生不自由になると言われてしまいます。
(大腿骨がバラバラになって、その骨の破片が筋肉に突き刺さり、足が3倍くらいに腫れあがっていたそうです)
ただ、医師からは、
ベトナム戦争で開発された新しい手術方法があるから、これを試してみよう。これしか方法はない。やらないよりはやってどうなるかやってみましょう
と、提案されたそうで、
藤岡さんは手術を受ける決意をしたのでした。
(それは、日本ではほとんど実例のない手術で、完全に回復するという保証はなかったそうですが、ほかに方法はないと思い、手術を決意したそうです)
失意の中「仮面ライダー」第1話を病院のベッドの上で見ていた
そして、翌日にはさっそく手術が行われると、手術は丸一日かかるほど大掛かりなものだったそうですが、無事に成功。
(割れた骨の破片が筋肉に食い込んでいたため、筋肉を切ってピンセットで一つ一つ外し、大腿骨の骨髄の中に金属パイプを通して骨にジョイントし、それに骨の破片を全部くっつけて針金に巻くという、気の遠くなるような手術だったそうです)
ちなみに、藤岡さんは、その後、入院中に放映がスタートした「仮面ライダー」の第一話を病院のベッドの上で見たそうですが、
忘れもしない第1回が放送された1971年4月3日の私は打ちひしがれた状態で、涙が止まらなかったですね。
と、語っています。
「藤岡弘、は大腿骨粉砕骨折で壮絶なリハビリを行っていた!」に続く