「仮面ライダー」撮影中の大事故から約半年後、懸命なリハビリの末、見事、現場復帰を果たした、藤岡弘、(ふじおか ひろし)さんですが、その後、「仮面ライダー」の撮影中、突然、失踪します。いったい藤岡さんに何があったのでしょうか。

「藤岡弘、は「仮面ライダー」復帰後も事故車と同じバイクに乗っていた!」からの続き

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自身の人気に悩み始めていた?

壮絶なリハビリを乗り越え、ついに、第40話と第41話のゲスト出演で「仮面ライダー」復帰を果たし、第53話から完全復帰した藤岡さんは、たちまち、大ブレイクするのですが、

次第に、

この人気は自分の実力なのだろうか

と、悩み始めるようになったといいます。

というのも、「仮面ライダー」が人気番組になったのは、藤岡さんが入院中、佐々木剛さんが代役として仮面ライダー2号を務めていた時で、藤岡さんは、その人気にうまく乗っただけなのではと感じていたというのです。

(実際のところは、佐々木さんが代役をするタイミングで、それまでなかった派手な変身ポーズが設定されたり、仮面ライダーのデザインが派手なものに変更されたり、女性レギュラーが増やされたりするほか、様々な改善がなされており、「仮面ライダー」が人気番組となったのは、一概に主演俳優の問題だけではなかったと思われます)

突然の失踪

そこで、藤岡さんは、自分の実力を試してみたいと、NHKのテレビドラマ「赤ひげ」(1972年10月放送開始)のオーディションを受けると、見事合格。

しかし、藤岡さんは、このことを、事前に東映(「仮面ライダー」側)には話しておらず、事後報告だったことから、NHK、毎日放送(当時の放送局)、東映テレビとの間にトラブルを生じさせてしまい、東映(「仮面ライダー」側)から、掛け持ちはダメだから「赤ひげ」の話を断るようにと言われたそうで、これにショックを受けた藤岡さんは、失踪してしまったのでした。

同情の声が多く寄せられていた

その後、藤岡さんは、伊豆周辺をぶらぶらしていたところをマスコミによって発見されるのですが、

(公式では、川崎で肉体労働をしていたころを、記者に発見されたと発表されたそうです)

藤岡さんが取材に応じて心境を語った内容が報道されると、大きな反響を呼び、藤岡さんに同情する声が多く寄せられ、さらには、民放各局からも出演オファーが相次ぎます。

(藤岡さんが取材になんと答えたかは不明ですが、「ほかの作品に出てみたいと思うのは俳優として当然だし、その結果、NHKのドラマを降板になったのは可哀想」という雰囲気になっていたそうです)

失踪事件を起こしたにもかかわらずその後のキャリアは順調だった

こうして、藤岡さんは、第68話「死神博士 恐怖の正体!」(7月15日放映)で「仮面ライダー」に復帰すると、

(第66話「ショッカー墓場 よみがえる怪人たち」(7月1日放映)、第67話「ショッカー首領出現!! ライダー危し」(7月8日放映)は、藤岡さん不在のまま制作されたそうです)

その後、藤岡さんのスケジュールが調整され、同年には、テレビドラマ「私は忘れたい」に主演するほか、1973年には、映画「日本沈没」でも主演。

さらに、「仮面ライダー」シリーズ終了後の1974年には、トラブルを起こしたNHKの大河ドラマ「勝海舟」にも出演を果たすと、以降、順調に、数多くの映画、テレビドラマに出演したのでした。

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オーディション参加や失踪は所属事務所の命令だった?

ところで、これほどの問題を巻き起こすと、普通は干されてもおかしくない中、なぜ藤岡さんは何事もなく復帰し、しかも、希望通り、他の作品にも出演することが出来たのでしょうか。

実は、藤岡さんは、後に、このことについて、「組織的な動きだった」と語っています。

ただ、それでも、藤岡さんは、「(嫌な思い出であったため)記憶から消していた」と、多くは明かしていないのですが、

当時、「仮面ライダー」のプロデューサーだった、平山亨さんと阿部征司さんは、そもそも、藤岡さんが「あかひげ」のオーディションに参加したことや、その後の失踪は、藤岡さんの意思というよりも、藤岡さんが所属する事務所の社長の命令だったのではないかと考えていたそうで、

平山さんは同情し、NHKの知人を通じて、「仮面ライダー」シリーズ終了後に藤岡さんを起用するよう確約を取り付けており、実際、そのお陰で藤岡さんは、「勝海舟」に出演することができたようで、藤岡さんに同情するような動きがあったのは間違いないようです。

「藤岡弘、はハリウッド映画「SFソードキル」で主演を張っていた!」に続く

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