1976年、子ども向けテレビ番組「円盤戦争バンキッド」で俳優デビューして以来、40年以上にわたり、俳優、映画監督として活躍している、奥田瑛二(おくだ えいじ)さん。今回は、そんな奥田さんの、生い立ちから俳優になるまでの経緯を追ってみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

奥田さんは、1950年3月18日生まれ、
愛知県春日井市高蔵寺町(現・春日井市)の出身、

身長175センチ、
体重60キロ、

血液型はAB型、

学歴は、
春日井市立高座小学校
⇒春日井市立高蔵寺中学校
⇒東邦高等学校
⇒明治学院大学法学部中退

特技は、
ギター、ブルースハープ、挿絵、絵画、

ちなみに、本名は、「安藤豊明(あんどう とよあき)」で、旧芸名は、「奥田英二(読み方同じ)」です。

父親は愛知県春日井市の市議会議員

奥田さんのお父さん・安藤豊さんは、6人兄弟の長男として誕生すると、子供の頃から成績が優秀で、小学校卒業後は中学進学を希望したそうですが、経済的な理由で断念。小学校卒業後、すぐに働き始めると、奥田さんが誕生した頃には、氷屋と喫茶店を営んでいたそうです。

そして、その後、不動産業を始めると、成功したそうで、いつ頃かは不明ですが、愛知県春日井市の市議会議員になられています。

弟は苔玉作家の安藤豊彦

また、奥田さんの弟さんは、苔玉作家の安藤豊彦(あんどう とよひこ)さんです。

豊彦さんは、愛知県瀬戸市にある、父方の曽祖父・安藤豊九郎さんが明治半ばに建て、祖父・廣治さんが守リ続けたという、茅葺屋根の古民家に、現在も住み、創作活動に打ち込んでいるそうです。

(父方の先祖は農家だったそうです)

小学5年生の時に俳優に憧れる

さておき、奥田さんは、氷屋と喫茶店「ユタカ」を営むお父さんとお母さんのもと、3人兄弟(姉と弟)の長男として誕生すると、

幼い頃は、お姉さんの豊子さんが、仕事で忙しい両親に代わり、よく「玉川劇場」に映画を観に連れて行ってくれたそうで、小学5年生の時には、大友柳太朗さん主演の映画「丹下左膳」を観て、衝撃を受け、

あのスクリーンの中で輝きたい

と、俳優に憧れるようになったそうです。

父親の猛反対に遭うも嘘をついて上京

そんな奥田さんは、俳優になるために体を鍛えようと、中学時代は野球部、高校時代はラグビー部で活動すると、進路を決める高校3年生の時には、俳優になる夢を家族に打ち明けるのですが、春日井市議会議員で、息子を政治家にさせたかったお父さんは猛反対。

(家族中が反対する中、お母さんだけは認めてくれたそうです)

そこで、奥田さんは、

政治家になるために東京に出て勉学に励み地元に戻って来る

と、東京の大学に進学するために上京したいと、嘘をついてお父さんを説得したそうで、

お父さんは、議員の書生として住み込みで働くことを条件に、上京することをなんとか許してくれたのだそうです。

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書生として住み込みをしていた家から突然家出

こうして、奥田さんは、高校卒業後、上京し、丹羽兵助代議士の自宅で住み込みの書生をしながら、明治学院大学法学部に通うも、大学では、演劇部の活動にも参加。

上京したのは、あくまで俳優を目指すためだったことから、それから2年後の21歳の時には、俳優になるため、突然、後先も考えずに、その家を飛び出し、大学も中退したのだそうです。

「奥田瑛二が若い頃は天知茂の付き人をしていた!」に続く

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