生活のため、夜の世界で働いている時、お客さんにモデルになることを勧められ、俳優になるチャンスがあるかもしれないと、モデルの仕事を始めると、テレビCMにも出演するようになったという、奥田瑛二(おくだ えいじ)さんですが、あくまで、目的は俳優になることだったため、やがて、事務所に辞めたい旨申し出ていたといいます。

「奥田瑛二が若い頃は天知茂の付き人をしていた!」からの続き

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テレビドラマ「円盤戦争バンキッド」で俳優デビュー

モデルの仕事では、テレビCMにも出演するようになるも、あくまで俳優になることにこだわっていた奥田さんは、やがて、事務所に辞めたい旨伝えたそうですが、事務所は激怒。

それでも、当時のマネージャーが協力してくれたそうで、奥田さんは、1976年、子ども向けテレビ番組「円盤戦争バンキッド」の主人公・天馬昇/バンキッドペガサス役で、念願の俳優デビューを果たします。


「円盤戦争バンキッド」より。

スタントマンのスタイルが悪くて見ているのが辛かった?

ちなみに、奥田さんは、2016年、「土曜スタジオパーク」にゲスト出演した際、アクションは、最初の5本までは自身で行い、その後はスタントマンが行っていたことを明かしているのですが、そのスタントマンのスタイルが悪くて見ているのが辛かったと、語っています(笑)

(変身ポーズなどを演じることについては、当時は一生懸命だったため、恥ずかしいと思ったことはなかったそうです)

また、この「円盤戦争バンキッド」で共演した柳生博さんが、当時の奥田さんについて、

変な役者だった。ものすごくリアル。

と、自分のほうが先輩だったにもかかわらず、怖かったと語っていたそうですが、

奥田さんは、それを聞き、学生時代に政治の世界に突っ込んでいたからではないかと語っています。

(奥田さんのお父さんは愛知県春日井市の市議会議員で、そもそも、奥田さんは、議員の書生として住み込みで働くことを条件に、お父さんに上京を許してもらっていました)


「円盤戦争バンキッド」より。

仕事がなくホームレスのような生活を送っていた

さておき、ついに、俳優の第一歩を踏み出した奥田さんですが、その後は、オーディションを受けに行くも、書類を見ただけで、「子供向け番組」(ジャリ番)と馬鹿にされるなど、オーディションにはまったく受からず、仕事がない日々が続いたそうで、やがては、アパートの家賃が払えなくなり、アパートを追い出されてしまったそうです。

そのため、一時期は、公園でホームレスのような生活をしていたこともあったそうですが、品川岸壁の荷揚げ、スナックのウエイターなどの職を転々としながら、なんとか食いつないだのだそうです。

(ちなみに、このバカにされたプロデューサーからは、後に、奥田さんが売れてから、謝罪されたそうです)

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どん底の日々の中で安藤和津と結婚

そんなどん底の日々の中、奥田さんは、犬飼和子(後の安藤和津)さんと知り合うと、自宅に招かれ、食事などをふるまってもらったそうで、出会って1年も経たずにスピード結婚。

(安藤さんは、奥田さんを見て、この「秋刀魚の腐ったような目をした青年」をなんとかしなければと思ったそうです)

ただ、結婚したからといって、仕事があるわけではなく、(クビになりかけていた)事務所に、毎月、給料の前借りをしに行くという生活が続いていたのだそうです。

「奥田瑛二が若い頃は「男女7人夏物語」でブレイク!」に続く

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