1995年、「心斎橋2丁目劇場」からデビューし、関西で絶大な人気を誇ったお笑いコンビ「次長課長(じちょうかちょう)」。2002年に東京へ進出すると、当初はなかなか芽が出ませんでしたが、次第に頭角を表し、2005年頃からは、マニアックなモノマネや「しつこい」ネタのコントでブレイクを果たしました。


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河本準一と井上聡の出会い

河本準一さんと井上聡さんは、
中学校の野球部で一緒だったそうで、

遅れて入部した河本さんが、
初めて練習に参加した日、

監督がキャッチボールをするように、
部員に言っていたにもかかわらず、

一人だけバットを持って、
フルスイングしていた井上さんに話かけ、

二人でキャッチボールを始めたことがきっかけで、
仲良くなられたそうです。

そして、中学卒業後、井上さんは、
スポーツ推薦で私立高校へ進学、

河本さんは、
定員割れの県立高校へ進学、

と、別々の高校へ進むことになり、
一時は疎遠になるのですが、

高校2年生の時、
河本さんが井上さんの家に遊びに行ったことで、
再び交流が始まったそうです。

サッカーからお笑いに

ところで、河本さんは、
高校でサッカー部に入部、キャプテンを務められ、

国体(国民体育大会)の、
岡山県選抜メンバーとなられるなど、
才能を発揮していたのですが、

高校2年生の秋、県大会においてシュートに失敗し、
先輩になじられたことから、
すっかりサッカーへの情熱をなくし退部。

その後、それほど、
お笑いに興味があったわけではなかったのですが、

視聴者参加型の演芸合戦番組、
「素人名人会」を観て出場を思い立ち、

同じサッカー部でクラスメイトでもあった、
山下正人さんを誘い出場すると、

初出場ながら、見事、
「敢闘賞」を受賞されたのでした。

吉本総合芸能学院(NSC)へ入学~「次長課長社長」結成

こうして、
勢いに乗った河本さんは、

親戚が経営するガラスサッシの会社に、
就職が決まりかけていた井上さんを、

吉本に入ろう!(ファンの)ジャッキー・チェンに会えるで!!

と誘われると、

山下さんとともに、3人で、
「吉本総合芸能学院(NSC)」に出願し、見事合格。

3人はNSCに入学するため、大阪へ転居し、
1994年4月、お笑いトリオ、
「次長課長社長」を結成されたのでした。

ちなみに、この名前の由来は、
アルバイト先の居酒屋の社員である次長さんと課長さんに、
お世話になっていたことから、「次長課長」

そして、当時住んでいたマンションの家賃を、
山下さんが支払っていたことから、
山下さんを「社長」に見立てて名付けられたそうです。
(次長と課長の区別は、特にないようです♪)

「baseよしもと」の黄金期に貢献

ただ、結成1年ほどで、
「社長」の山下さんが脱退すると、
お二人は「次長課長」として続け、
「心斎橋筋2丁目劇場」でデビュー。

(当初は、現在とは逆で、河本さんがボケ、
 井上さんがツッコミを担当していたそうです。)

他の多くの若手芸人らとともに、
熱いライブを繰り広げて、
2丁目劇場を盛り上げられると、

1999年3月に2丁目劇場が閉鎖し、
「baseよしもと」がオープンしてからも、

主力メンバーとして、チュートリアル、ロザン、
$10、サバンナ、ケンドーコバヤシらとともに活躍。

お二人は、「baseよしもと」の黄金期に、
大きく貢献されたのでした。

「baseよしもと」当時の「次長課長」。

「baseよしもと」を卒業

そして、2002年9月には、東京進出するため、
「baseよしもと」を卒業されているのですが、

卒業ライブでは、座席数233席の、
「baseよしもと」において、
407人という観客動員数を記録。

この記録は、2010年に、
「baseよしもと」が閉館するまで、
破られることはなかったそうで、
お二人の人気の凄まじさを物語っていますね♪

上京

そんな「次長課長」は、
翌月の10月に上京されるのですが、

東京ではほとんど知名度がなく、
一からのスタートに。

当初は、「ルミネtheよしもと」の舞台くらいしか、
仕事がなく、しばらくは芽が出なかったようですが、

2003年10月頃、深夜番組「U-CDTV」の、
若手お笑い芸人がネタを披露するコーナー、
「お笑いCDTV」に出演し、頭角を表すと、
東京のテレビ関係者に認知されるようになり、

「U-CDTV」終了後の2004年10月には、
同じスタッフが始めた「Goro’s Bar」で、
上京後、初のレギュラー出演を果たされたのでした。

「Goro’s Bar」より。

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ブレイク!

そして、2005年には、
細木数子さんのバラエティ番組、
「ズバリ言うわよ!」に出演され、

その際、細木さんに、

このコンビ名だと井上が貧乏になる。
今度からピンク&グリーンにしなさい。

と、改名を勧められるのですが、
お二人は悩んだ末、改名しないことを決意。

(居酒屋でアルバイト時代にお世話になった、
社員の次長さんと課長さんに恩義を感じていたため、
改名することができなかったそうです。)

「ズバリ言うわよ!」より。

その後、お二人は、同年、
「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」で、
息のぴったり合ったハモリを披露するなど、抜群の歌唱力で、
第3回大会優勝、第4回大会準優勝と注目を集め、

続く2006年には、バラエティ番組、
「祝!ズバリ言うわよ!細木数子誕生祭!
2週連続2時間スペシャル第1夜!!」
で、

かねてよりファンだった、
ジャッキー・チェンさんと共演を果たされると、

河本さんは、

「お前に食わせるタンメンはねぇ!」

と、ジャッキーさんの主演映画、
「プロジェクトA」のモノマネを、

井上さんは、同映画のワンシーン、
「テーブルの上で歌う人のまね」を披露され、

これが視聴者にウケて大ブレイク!
お二人は、一躍スターダムにのし上がったのでした。

こうしてお二人は、
バラティ番組に引っ張りだことなられ、
2007年には、単独冠番組、
「次長課長のヨイショ!」を持つまでに。

「次長課長のヨイショ!」より。

しかし、そんな「次長課長」も、2012年、
「河本さんの生活保護不正受給疑惑」が浮上後は、仕事が激減。

コンビでのレギュラー番組は消滅し、
現在もその状態が続いています。

さて、いかがでしたでしょうか?

視聴者のみならず、普段、芸人を褒めないことで有名な、
細木数子さんや黒柳徹子さんを爆笑させたり、

ビートたけしさんから絶賛されるなど、
人気実力ともに兼ね備えた、
数少ないお笑いコンビである「次長課長」のお二人。

早く、あのマニアックなモノマネや、
息の合ったアドリブ満載のコントを見たいですね!

一日も早い、
完全復活を期待しています!!

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