1971年、17歳の時、ファーストシングル「大都会のやさぐれ女」で歌手デビューして以来、50年に渡り、芸能界で活動し続けている、研ナオコ(けん なおこ)さん。今回は、そんな研さんの生い立ちについてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?芸名の由来は?
研さんは、1953年7月7日生まれ、
静岡県田方郡天城湯ヶ島町(現・伊豆市)の出身、
身長162センチ、
血液型はA型、
学歴は、
上狩野村立湯ヶ島小学校
⇒天城湯ヶ島町立天城中学校
⇒静岡県立三島南高等学校商業科中退
趣味は、
アメリカのドラマを見る、スポーツ観戦、
特技は、
紙バンドクラフト(細いこよりを編んだバッグ)
ちなみに、研さんの本名は、「野口なを子(旧姓は浅田)」で、芸名の「研」は、当時の所属事務所「研音」の「研」から取ったそうです。
双子の兄は生まれてすぐに他界
研さんは、もともと双子だったそうですが、お母さんが出産時、難産だったのか、双子のお兄さんは生まれてすぐに亡くなってしまったそうです。
そして、研さんを出産する時には、母体がもたないと、医師から、自分の命をとるか、子供の命をとるかの選択を迫られたそうですが、お母さんは、「産みます」と答え、命がけで研さんを出産したのだそうです。
兼業農家の家庭で育つ
こうして、研さんは、静岡県・伊豆の兼業農家を営む両親のもと、3人兄弟(異母兄が2人)の末っ子として誕生すると、お父さんは長距離トラックの運転手で外に働きに行っていたことから、
お母さんが、お父さんの留守中、家事、子育て、農作業を一手に引き受け、汗水たらして働く姿を見ながら、築百年以上のわらぶき屋根の家で育ったそうです。
(お母さんは、子供3人と同居していたおばあちゃんの面倒をみながら、早朝から深夜まで働き詰めの生活を何十年も続けていたそうです)
貧乏生活から給食費を払うのが嫌だった
それでも、生活はかなり厳しく、研さんが小学校に入学すると、毎月支払わなければならない給食費の支払いが家計を圧迫したため、研さんは、給食費の入った茶色い封筒を提出するのが嫌だったそうです。
ただ、そのまま、2ヶ月滞納したことがあり、学校から家に連絡が入って、お母さんの知るところとなり、
お母さんに、
なにに使ったの?
と、問われたことがあったそうですが、
研さんは、
出せなかった、ごめんね
と、謝ることしかできなかったそうです。
ちなみに、研さんは、
当時の好物は母のきんぴら。ニンジンを入れず、ゴボウだけを細く刻んで作ってくれた。自家製のわさび漬けがあれば何もいらない。今でもおかずは一品で良くて、ごはんにお漬物とかノリのつくだ煮、金山寺味噌をのせたりね
と、語っており、
貧しい中でも、愛情を注いで育ててくれたお母さんにとても感謝しているそうです。
「研ナオコは幼少期同年の小林幸子のデビューを見て歌手を志していた!」に続く
3歳の頃の研さん。