高校1年生の時、同年代の高校生がエレキバンドを組み、インストゥルメンタル・バンドの「ベンチャーズ」を弾きこなす姿を見て衝撃を受け、その後、自身もインストゥルメンタル・バンドを組んだという、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、女性に関して気が多くて惚れやすく、醒めやすい性格だった吉田さんは、次々と女の子を好きになっては、その想いを曲にして、その子に渡していたそうです。
「吉田拓郎は高校の時インストバンド「トーン・ダイヤモンズ」を結成していた!」からの続き
「準ちゃん」に片思い
少年時代から女性に関して気が多かったという吉田さんですが、1963年、高校2年生の時には、1学年下の嶋田準子さんという女の子に片思いをしたといいます。
嶋田さんは、テニス部に所属するマドンナ的な存在で、すでに彼氏がいたそうですが、吉田さんは、そんなことにはおかまいなしに、写真部だったことを理由に、文化祭に出展するため、写真のモデルになってほしいと頼み込み、嶋田さんに積極的にアプローチしたそうです。
ただ、吉田さんは、いざ、写真撮影となっても、無言でシャッターを押すだけで、暗室に二人きりになった時も、ただただ恥ずかしく、恋心を打ち明けることはできなかったのだそうです。
「準ちゃん」にフラれる
そんな吉田さんは、この熱い恋心から、「準ちゃん」という曲を作り、その録音テープを嶋田さんに聞かせたそうですが・・・
嶋田さんには、
おかしな歌ですね
と、言われてしまい、
そのうえ、その後、なんと、吉田さんが嶋田さんの”ヌード写真”(実際はただのポートレート)を撮っていたという噂が学校で広まったそうで、
嶋田さんは怒って、自分の写真を全部返すように吉田さんに迫ってきたそうで、このことがきっかけとなり、吉田さんは、完全にフラれてしまったのだそうです。
(「準ちゃん」は、ずっと、吉田さんの処女作と言われていたそうですが、1979年5月、ラジオ番組「セイヤング」で、吉田さん自ら、「雨の中のあの娘」という曲が本当の処女作で、「順ちゃん」は二作目であることを明かしています。とはいえ、この「雨の中のあの娘」も嶋田さんのことを歌った曲ということでした♪)
準ちゃんの曲はその後も「準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた多大なる影響」など8曲も制作していた
それでも、後に、吉田さんは、
(嶋田さんに写真を全部返すように言われたにもかかわらず)写真はみんな返したけど、ホントは一枚だけ残しておいた。だって可愛かったんだもん・・・
と、語っていたほか、
嶋田さんのことがあきらめきれず、その後、8曲も嶋田さんの歌を作ったそうで、
その中には、「準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた多大なる影響」(曲は、ボブ・ディランの「ハッティ・キャロルの寂しい死」を拝借したそうです)という曲があるのですが、
そこには、
僕の青春は恋と歌の旅、果てることなく・・・君がいなければ今の僕はなかったかもしれない
とあり、嶋田さんの存在は、それほど吉田さんにとって大きかったようです。
「準ちゃん」はレコード化される予定だった
ちなみに、「準ちゃん」は、1969年4月21日に、日本コロムビアからレコードが発売される予定だったそうですが、最終的にはレコードは発売されず、いまだに市場には出回っていません。
また、「準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた多大なる影響」は、嶋田さんと20歳の誕生日に再会したことを歌った曲だそうで、1972年に発売されたアルバム「たくろう・オン・ステージ第二集」に収録されています。
「吉田拓郎の大学時代は「ザ・バチェラーズ」で人気を博していた!」に続く