妻の四角佳子さんとの関係が冷めきっていた中、自身のラジオ番組にゲストとして招いた浅田美代子さんと交際に発展した、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんは、ついに、四角さんと離婚します。
浅田美代子との交際が報道される
1974年、当時、アイドルとして人気絶頂だった浅田美代子さんを、吉田さんが自身のラジオ番組にゲストで呼んだのをきっかけに、急速に接近した二人は、同年、吉田さんが浅田さんに楽曲「じゃあまたね」を提供するほか、1975年には、テレビドラマ「なつかしき海の歌」で共演したことから、やがて、交際が報道されるようになります。
「なつかしき海の歌」より。浅田美代子さんと吉田さん。
浅田美代子を心配した内田裕也&樹木希林夫妻が吉田拓郎を詰問していた
すると、浅田さんと親交のあった樹木希林さんが、浅田さんを心配し、夫の内田裕也さんと共に、吉田さんが飲んでいるところに乗り込んだそうで、
(当時、フォーク歌手の吉田さんとロック歌手の内田裕也さんは犬猿の仲だったそうですが)
内田さんが、
どういうつもりで付き合ってんだ、お前!
と、言うと、
吉田さんは、
真面目に付き合っています。結婚するつもりです。
と、真剣交際であることを認めたそうで、
この言葉を聞いて、内田&樹木夫妻は、安心して帰って行ったとのことでした。
浅田美代子は交際を認めるも吉田拓郎は交際を否定
さておき、交際が発覚すると、
浅田さんは、
拓郎さんが好きです。奥さんや子供さんがいてもかまいません。誰が何と言おうと交際をやめません。
拓郎さんの奥さんと子供に会ってみたい
と、週刊誌に対し、吉田さんとの交際を認め、挑戦的な発言までしているのですが、
吉田さんはというと、
恋愛感情はない。妹のような存在
と、浅田さんとの交際を否定しています。
妻・四角佳子との離婚を発表
ただ、そんな吉田さんも、1975年9月には、ラジオの深夜放送で、
ぼくは決して女房は嫌いではない。好きな女なんだ。でも、暮らしていくのは耐えられない。
と、突然、妻・四角佳子さんとの離婚を発表。
それでも、吉田さんは、離婚の理由については、あくまでも性格の不一致とし、浅田さんとのことは無関係だと語っていたのですが、
翌年の1976年に出版された著書には、
僕にとっては、いつも女と恋をしていることこそが、生きている上で最も重要なこと。
(中略)
かつて久しい間、恋のコの字もしていなかった時期があった。結婚してちょうど二年ほどたった頃だった。
それは自分にはカミさんがいるんだから、恋をしてはいけないという潜在意識があったせいかもしれない。そんなこんなで結婚生活そのものに対する疑問も次々に生まれてきた
と、綴っています。
(吉田さんは、慰謝料として、すべての財産を四角さんと娘さんに譲ったそうです)
アイドルに曲を提供することが楽しくて仕方なかった
ちなみに、吉田さんは、
(アイドルに曲を提供することは)それはもう、すっごく楽しかったです。東京へ出てきてから音楽活動で何が楽しかったって、アイドルの作曲ほど楽しいものはなかった。
アイドルたちと一緒にスタジオに入って作業する。「歌って、こういうふうに歌うんだよ」なんて教えるときの気持ちよさといったら、もう。
と、語っており、
そんなアイドルの一人だった浅田さんが吉田さんに好意を持っていたことから、二人の関係がすぐに恋愛関係となったのは自然な流れだったようです。
妻・四角佳子に暴力をふるっていた?
また、吉田さんは、四角さんとはしょっちゅうケンカしていたことを明かしつつも、
口をきかなくなる、陰湿なケンカだった。おたがいののしり合えればまだよかった
と、派手なケンカではなかったと語っているのですが、
四角さんはというと、離婚から2年後、雑誌「婦人倶楽部」で、
盛大な夫婦喧嘩も何回もありました。男の人は、一方的に殴られるときの怖さというのは、絶対に分からないんじゃないかしら
と、吉田さんから暴力を振るわれていたことを明かしています。
(四角さんは、吉田さんと結婚後、芸能界を引退しており、離婚後は長女を引き取り、東京でブティックを開業。1979年にはブティックの立ち上げを支援してくれた服飾デザイナーと再婚し、男の子を出産しているのですが、2000年に歌手として復帰すると、そのことが原因で離婚しています。)
「吉田拓郎と浅田美代子の結婚を樹木希林が協力していた!」に続く