1966年、空想特撮シリーズ「ウルトラマン」で、科学特捜隊・アラシ隊員役を演じ、たちまち子供たちの間で人気を博した、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんは、翌年の1967年、続編「ウルトラセブン」にも出演し、さらなる人気を博します。
「毒蝮三太夫は若い頃「ウルトラマン」のアラシ隊員役で大ブレイク!」からの続き
「ウルトラマン」の撮影は過酷だった
隊員役で出演していた「ウルトラマン」が人気番組になり、一躍、ブレイクした毒蝮さんですが、特撮番組である「ウルトラマン」の撮影環境はとても過酷だったといいます。
というのも、予算や機材が限られている中、特撮のミニチュアなどはすべて手作りで、次の放送までの1週間で作らなければならなかったことから、とにかく時間がなかったうえ、
撮影は倉庫のようなスタジオで行われていたことから、夏は汗だく、冬は寒さに震えながらの撮影で、極限状態のピンチが毎日続いているような状態だったのだそうです。
そのため、トラブルはしょっちゅうあったそうですが、人を責めて自分を正当化したり、派閥を作って足の引っ張り合いをする人間は一人もなく、全員一丸となっていたそうで、
毒蝮さんは、
スタッフも役者もみんながお互いを信頼して、それぞれが自分の役割を全力で果たしたからじゃないかと、俺は思ってる。
と、語っています。
「ウルトラセブン」では地球防衛軍フルハシ隊員役
そんな毒蝮さんは、翌年の1967年、続編の「ウルトラセブン」でも、地球防衛軍のフルハシ隊員役で出演しているのですが、
「ウルトラセブン」で地球防衛軍フルハシ隊員に扮する毒蝮さん。
毒蝮さんは、
まあね、それは運がよかったんでしょう。俺が丈夫でギャラが安くて暇だったから、また出ろよってなって(笑)
あれはアメリカのスピンオフっていう、番組のレギュラーで一人だけ残すというので、俺が残ったんだけど、「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」という、一番おいしいところ2つに俺が残っちゃったんだからラッキーでしたね。
ビデオシーバーとか使ってね。「ウルトラセブン」で使ったでしょう?「隊長、隊長、今ホーク1号でそちらに向かいます」とかって言ってね。「こんなのに映るわけねえだろう」なんて当時は言っていたんだけど、今は現実になっちゃったからね(笑)
50何年前に作家たちは、もう今の時代のようなことを考えていたんだからすごいよね。だから今でも通用するんだよ
と、語っています。
「ウルトラマン」「ウルトラセブン」が代表作に
また、毒蝮さんが「ウルトラマン」に出演し始めた当初は、子供番組ということで、役者仲間にバカにされ、肩身の狭い思いをしていたそうですが、今では良かったと思っているそうで、
毒蝮さんは、
俺は『ウルトラマン』では科学特捜隊のアラシ隊員をやって、次の『ウルトラセブン』でも地球防衛軍のフルハシ隊員をやった。今でも、たくさんの人がアラシとフルハシのことを覚えていてくれる。
宇宙飛行士の毛利衛さんも、「僕はアラシ隊員に憧れて、宇宙飛行士を目指しました」なんて言って敬礼してくれた。嬉しいよね。あのふたつの作品は間違いなく、役者・石井伊吉(毒蝮さんの当時の芸名=本名)にとっての代表作だ。
と、語っています。
「毒蝮三太夫と立川談志は親友!出会いは落語繋がりだった!」に続く