2017年9月までに北朝鮮を32回も訪問し、北朝鮮との関係を強化してきた、アントニオ猪木(あんとにお いのき)さんですが、それほどまでに北朝鮮にこだわってきた理由はなんでしょうか。

「アントニオ猪木は金正日の招待で北朝鮮「平和の祭典」を成功させていた!」からの続き

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師匠の力道山は在日朝鮮人だった

猪木さんが力道山さんの付き人だった時のこと、プロレス興行のため新潟の旅館に泊まった際、力道山さんが試合のない日にいなくなったことがあったといいます。

ただ、その時は、猪木さんは、どうしてなのか知らなかったそうですが、その後、猪木さんが、「スポーツ平和党」の党首として政治家になってから、当時、力道山さんが、北朝鮮から「万景峰号(マンギョンボンごう)」で会いに来た娘さんに会いに行っていたことを知ったそうで、

(猪木さんは、付き人時代、力道山さんが在日朝鮮人だとは知らなかったそうです)

以来、南北が分断され、祖国で錦を飾ることができなかった力道山さんのために、

故郷に錦を飾りたい

と、思うようになったのだそうです。


力道山物語―深層海流の男

北朝鮮側からも歓待されていた

そんな猪木さんは、1995年4月、金日成氏が亡くなって不安定になった中、自身の権威を見せつけようとした金正日氏の思惑と利害が一致し、北朝鮮の平壌で「平和のための平壌国際スポーツ・文化祭典」を開催し、大成功を収めると、

以来、北朝鮮側から、金正日国家主席の最大の祝辞者という扱いで、

アントニオ猪木氏のスポーツ交流を通じて、北朝鮮と日本の人々の友好を図り、世界平和に貢献する姿勢を重要視している

と、毎年、北朝鮮に招待されており、

猪木さんも、拉致議連の入会を拒むなど、一見、北朝鮮を擁護するような態度で、マスコミからは非難を浴びるのですが、

猪木さんいわく、こうやって、北朝鮮と良好な関係を築き、相手の懐に入って、拉致問題解決の糸口にしたいと考えているそうで、

テポドン(ミサイル)が世間を騒がせている時には、

相手側にミサイル問題を正面からぶつけました。そして、その後の宴会の席で、私が大きな声で「ところで!」と叫んだら、皆がびっくりした。

「日本の“ミサイル”も北朝鮮に向いています」と言ったら皆が息をのんだ。そして、

「北には美しい女性が多いですから(笑)」
なんて言ったら、一発で場が和んだ。

と、冗談を交えながらも、釘を刺したとのことでした。

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北朝鮮にこだわる本当の理由とは?

また、猪木さんは、北朝鮮にこだわる理由について、

大好きな言葉の一つに、「何にもしないで生きるより、何かを求めて生きようよ」がありますが、その心境です。人がやらない何かにチャレンジする、猪木にしかできないことに挑戦していくということです。

1976年、当時のボクシング世界ヘビー級チャンピオンであるモハメド・アリと戦ったことがあります(「格闘技世界一決定戦」)。今になって伝説の名勝負と言われていますが、当時は全然評価されなかった。

私の歴史を振り返ると、行動を起こした直後はものすごく批判を浴びる。でも結果として形になっていく。

私自身ブラジル移民で、力道山にスカウトされて日本に帰ってきた時から、ひどいことを言われ続けてきました。プロレスそのものだって、ずっと蔑視され、差別を受けてきた歴史があるのです。

だから「てめえら、今に見ていろよ」みたいな、いつも燃えるものが私の心にあって、それは生涯変えようがないのかなと思う。

とも、語っています。

「アントニオ猪木の最初の妻は?2人目の妻・倍賞美津子との馴初めは?」に続く

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