自身が膵頭ガンであることを隠し、ぎりぎりまで献身的に看病してくれたという、妻の田鶴子さんを亡くした、アントニオ猪木(あんとにお いのき)さんですが、最後は、同じ病院に入院し、隣同士の病室で最期の時を過ごしたといいます。

「アントニオ猪木の4人目の妻は膵頭ガンの身で猪木の看病をしていた!」からの続き

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妻・田鶴子とは隣同士の病室で最期の時を過ごしていた

6年もの間、闘病しつつ、猪木さんを献身的に看病していたという田鶴子さんですが、死去する2ヶ月前に体調を崩すと、猪木さんと同じ病院に入院し、(田鶴子さんの手配で)隣同士の病室になったといいます。

それでも、田鶴子さんは、ずっと退院することを望んでいたそうですが、田鶴子さんの体に腹水が溜まっていく姿を見ていた猪木さんが、担当医に病状を聞くと、

もう病院から出るのは難しいかもしれません

時間の問題ですね。今日か明日かもしれません

と、言われたそうで、

その3日後、田鶴子さんは他界したのだそうです。

妻・田鶴子との最期の会話とは

そんな猪木さんと田鶴子さんは、最期の時を一緒に過ごすことができたそうですが、

猪木さんは、

亡くなる1週間くらい前かな、彼女の望みで、夜、看護師さんに付き添われて私の部屋に来たんです。20分くらいだったかな。もうすでに体力があまりなかったから、会話らしい会話はなかったんですけどね。

寝るときは病室のドアを閉めるんですけど、その夜は、ドアを閉めちゃうとどこか遠く離れていってしまうような気がして、少しだけ開けておきました。隣の部屋にいる彼女のことが感じられたら、と自分自身思ったのかもしれない。

その気持ちは伝わったんじゃないかな。やがて来る死はつらいですけど、彼女にとってもそれまでの時間はいい時間だったんじゃないかと。涙は流さないことにしているんですけど・・・

彼女はお腹が張っていたんで、夜中に痛みが出ちゃうとね、さすりはしませんけど、私はちょっとパワーがあるんで、手を痛いところにかざすと多少楽になるんです。

そしたら安心した表情になって微笑んでくれました。だから最後の言葉は「ありがとう」だったと思います。

と、語っています。

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妻・田鶴子は他界する前に側近にアントニオ猪木の今後のことを託していた

ちなみに、田鶴子さんは生前、側近に、

私にもし万が一のことがあって葬式とかがあっても、猪木のスケジュールは変更しないで。お仕事に迷惑はかけないでね

と、猪木さんの今後のことなど細かいことを伝え、旅立つ準備をしていたそうで、

普段、照れくさく、愛という言葉を使うのが苦手な猪木さんも、田鶴子さんの深い愛情を感じたことを明かしています。

(猪木さんはこの言葉に従い、9月2日に行われたイベントにも休むことなく出席したそうです)

「アントニオ猪木は「糖尿病」と心臓の難病「心アミロイドーシス」だった!」に続く


まだ結婚する前の田鶴子さんと猪木さん。

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